第157話 雷神と山中の猿(8)反物①

文字数 649文字

 湧き上がる内なる声に従って突き進み、
己の行く道を誰にも委ねはしない信長は、
誰もが仰ぎ見る畏怖の対象で、
一挙手一投足に注意を払うべき、覇権の主だった。

 その信長を僭越にも敢えて、
優しいとこぼした秀吉は何をもってして、
そのように呟いたのか、
仙千代は興味を持った。

 「先だって、上洛の道すがら、
関ヶ原は山中(やまなか)にて、
上様が猿なる男に情けをおかけになった件、
万見様も存じていらっしゃいましょう」

 市松がぽろっと口の端に上げてしまった話とはいえ、
受けて語り始めた佐吉の物言いは揺らがず、
相変わらず端然としていた。

 山中という集落は、
美濃から近江へ向かう古街道の村で、
足利家の歌道師範であった一条兼良が、
京から美濃への道中で、

 「時鳥(ほととぎす)おのが五月の山中に
おぼつかなくも音をしのぶ哉」

 と詠み、紀行文に(したた)めたように、
一帯は和歌に因んだ故地が散見された。

 仙千代も、

 「猿」

 を目にしたことがあった。

 猿は日照りでも雨でも、
強風でも酷寒でも、いつも同じ場所に居て、
山中を通る時に姿を見ないことはなかった。

 信長のような権力者が通るともなると、
村の道は掃き清められ、
何かと片付けられているはずが、
猿は退かせられもせず、
かといって擁護を受けているでもない風で、
ただ、貧苦の姿を晒し、必ずそこに居た。

 仙千代は初上洛した時の山中で、
男を見遣る信長の目に好奇が浮かんだことに気付き、
仙千代自身の疑問として、
乞食というものはあちこち移動して暮らすものだが、
何故あの男は一ヵ所に留まっているのかと、
不思議を抱いた。

 

 


 
 

 
 

 

 
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