第23話 龍城(17)岡崎の夜①

文字数 1,470文字

 目を閉じて、褥に仰向けでいる信忠に、
勝丸が身をすり寄せてきた。

 勝丸は、
城兵達を相手に騒擾(そうじょう)を起こした(とが)により、
ひとつ間違えば首と胴が切り離されていた。
 勝丸にとっては、
激しく感情の起伏があった一夜だっただけに、
信忠は静かに休ませてやろうというつもりでいたが、
あらためて一部始終を聞きながらその顔を見ると、
切れた唇や腫れた頬に哀れを誘われ、
ふと引き寄せたところ、
それだけで済まなくなってしまった。

 「若殿、起きていらっしゃいますか」

 返事のかわりに肩を抱きよせた。

 「今宵、仙様に救われました」

 仙千代を仙様と呼ぶ勝丸は、
清三郎の口振りが伝染(うつ)ったまま、
癖が消えていないのだった。

 「抜刀寸前、助けられました。
抜いたならお咎めを受け、今頃三途の川」

 「万見はまた、
ずいぶん派手にやったものだ」

 信忠は身体の向きを変え、
勝丸の頬に手を当てた。
 襟から覗く胸板は蹴られたらしく変色し、
肩や背中も転倒したものか、
青黒い箇所があった。

 「三河殿がいらした時に仙様は、
殴り足りぬぐらいだと」

 信忠は小さく笑った。

 「あいつはそういう奴なのだ」

 「はい」

 「何だ、はいとは」

 「岐阜の御城に来たばかりで、
右も左も分からぬ中、
母君手縫いの着物を渡すまいと抗弁し、
あくまで逆らって譲らなかったという話。
それ以外にも逸話が……」

 三郎のみならず、
勝丸もまた信忠の仙千代への思いに気付いていたと、
信忠は知った。

 「痛むか?」

 「切腹を賜ることに比べれば、
何程のことでもございませぬ」

 「借りが出来たな、万見に」

 「返せと仰る御仁ではございません」

 信忠の無言は肯定の意を表していた。

 目も眩むような速さで出世街道を歩んだ仙千代を
妬む者が居ないわけではないと信忠も承知している。
 しかし、本人の才や努力は当然として、
仙千代の朴訥と純情は自身を護る盾となり、
いつしか周りは仙千代を旗頭のように慕う者達が、
集まっていた。
 そして何より、君主の圧倒的な寵愛が、
仙千代を輝かせている。

 「三介様がポツリと漏らしておいででした。
鳴いた(かわず)が蛇に呑まれる既所(すんでのところ)であった、
兄上が仰せのように口は(わざわい)のもとであるなと」

 本丸御殿での夕餉の宴は、
織田、徳川、両家のごく内輪の顔触れで、
和やかに進んでいた。
 そこへ騒動の報せが入り、
信長、家康は、
城主は信康であるとして座を外す素振りがなかった。
 ただ信忠は、暫しの後、
勝丸が絡んでいると耳打ちされて、
すると、自然、
騒ぎの当事者となっていた。
 
 同じく喧騒を聞き知った信雄(のぶかつ)は信雄で、

 「私も御供致します」

 と、付いてきた。

 志多羅原(したらがはら)の合戦を、
河尻秀隆を従え、総覧していた時には、
何かと思うがままに言葉を発していた信雄が、
先程は黙って事態を見守っていた。

 「三介は軽妙に過ぎるきらいがあって、
諸将の上に立つ者として、
憂慮すべき点がないではないが、
あれでどうしてなかなか、
可愛いところがあるのだ。
叱責されて、
その場は塩を掛けられたように縮んでも、
直ぐ戻る。あれはあれで才覚だ」

 「若殿が、
口を慎むようにと御注意あそばされたことを、
此度こそ、会得なさったようでございます」

 「ひとこと足りぬは足せば良い。
ひとこと多いは引っ込められぬ」

 「この勝丸こそ、
しみじみ、身に染みましてございます」

 騒動を起こした行状を恥じ、
勝丸は今一度、詫びた。

 「それはもう良い。
己が城主の(つま)の兄、
まして同盟軍の副大将を侮ったのだ。
近侍が聞き捨てならぬと義憤を抱くは道理。
実際、三河は、
直ちに討つべきだった。城兵五人を」

 信忠の言葉に、
勝丸の目が夜陰に見開いた。



 
 

 

 

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み