第388話 童々(わらわら)

文字数 1,814文字

 夜通し就いていてくれた亀に代わり
兵太、兵次がやって来て、

 「ここはお任せ下さい。
他に御用がおありでしょう」

 と再び寝息を立て始めた小弁を見遣り、

 「おお、呼吸の音が澄んできたような」

 「額も頬も、暑過ぎず冷た過ぎず」

 と快方に向かっていることを喜んだ。

 仙千代は、

 「葱も良い働きをしてくれよう。
虎と藤が、あんなにも。
 時に取り換えてやってくれ」

 と部屋の隅の葱の山を指した。
 そこには兄弟自慢の葱がたんとあった。
 寝付いているはずの小弁の身体が
「葱」という言葉にピクリと動いた。

 よほど葱の臭気が苦手と見える……
ふっ、狸寝入りで皆の話を聴いておるのじゃな……

 仙千代は気付かない振りで、

 「虎、藤。
 小弁の居場所を知らせたことといい、
立派な大葱といい、たいした手柄だ。
 高橋の葱、薬効格別じゃ」

 と褒めた。
 おそらくは隠れるように武芸を磨き、
仕官の道を探し奮闘していた二人は、
いよいよ岐阜へ行く夢が叶うかと瞳を輝かせた。

 「葱ならまだまだ有るぞ!
小弁、どんどん使え」

 「そして我ら三人、岐阜へ一緒に!」

 小弁の狸寝入りは虎松、藤丸にもばれていた。
 小弁は瞼をぎゅっとしたまま小さく言った。

 「葱は食うものじゃ……
首に巻くもんじゃないけ……」

 精一杯の言い返しに仙千代は心からの安堵をした。
 炭火が絶えぬ温かな部屋、手厚い看護、
似た齢の少年達との心置きない交流、
すべて、小弁の今までの暮らしでは、
望んでも望めぬものだった。

 儂は馬鹿じゃな、
殿が好意を示された童を見捨てられず、
あろうことか、連れてゆこうとしている、
殿のもとへ……
 儂は大馬鹿じゃ……

 しかし信忠が寵愛を示した小弁であるなら、
命の危機を見過ごすことは不可能だった。
 それをしたなら仙千代は己の心の醜さに一生
苦しめられると考えた。

 鯏浦(うぐいうら)から北へ一里少々上がった、
岐阜への道程に高橋家はあった。
 その小木江一帯は水郷で、
地域を支配していた服部党を兄、信長の命により、
駆逐した信興が城を築き、
国境を守備していたが最後は一向門徒の襲撃、包囲によって、
城を枕に自刃した。
 信長の一向宗への憎しみはこの時に始まっていた。
 仙千代も二度従軍した長島一向宗との戦いは、
信長が一族を多数喪う結果となって、
そもそも信興の死によって憎悪を秘めていた信長の復讐心に点火し、
二万という過去に例を見ぬ火攻めの大虐殺により終焉をみた。

 信長が奪還し、陣を置いた小木江の城は、
今や周囲は蓮畑となり、
城の鎮守社が残るのみだった。

 万見家、高橋家は、
如何程の時も要せぬ距離にあった。
 仙千代は彦七郎、彦八郎を伴い、
虎松、藤丸の母と叔父を訪ね、
兄弟の希望を叶えるべく、岐阜へ伴ってゆく旨、
丁寧な挨拶をもって告げた。

 叔父なる人は、

 「いつかこうなると思っておりました。
虎松、藤丸には、
亡き我が兄、照之進は英雄であり、
繰り返し繰り返し、
二人して亡父を語らう内に、
思い出はますます磨かれ、宝となった。
 百姓となったこの叔父は、
命を惜しむかと不甲斐なく映るのやもしれませぬ。
 それでも真に慕い、懐いてくれた。
旅立つともなれば寂しさがないと言えば、
嘘になります」

 母なる人は、
ただ振り絞るように、

 「虎、藤を何卒、宜しゅう……何卒、何卒」

 と仙千代らに手を合わせ、
明日か明後日か、旅立とういう二人には、

 「父の名を汚さぬよう、
立派に御役を果たしてこられよ」

 と涙を堪え、毅然と振舞った。

 高橋家当主も兄弟の母も、
本心は分からぬことではあった。
 だが、虎松、藤丸の意志強固なこと、
また許しを請うという形であれ、
信長側近の仙千代が足を運んだとなれば、
断ることはできぬのが実の姿ではあった。

 万見家へ戻る道すがら、
仙千代に彦七郎が呟いた。

 「虎松。藤丸。小弁。
鯏浦三人組が何やら童々(わらわら)連れてきたと、
岐阜で笑われるやもしれませぬな」

 「鯏浦三人組。
そんな言い方をしたものだった。
 確かに、かつて……」

 と遠い眼をした仙千代に彦八郎も、

 「儀長城の餅つきの日。
ちょうどあの日もこんな伊吹おろしで。
 遅れてやって来た、
万見某なる童のギンナン臭さといったら」

 「さあ。万見某とは何処の誰やら。
知らぬな、儂は知らぬ。
 記憶違いも大概にせよ」

 仙千代は(うそぶ)いた。
 やがて強い西風に、三人の笑い声が弾んで散った。

 「さ、急いで戻り、
出立準備じゃ!」

 「おう!」

 「おおう!」

 風の中、鯏浦三人組は馬を走らせた。
 

 


 


 

 



 

 

 


 
 
 


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