第113話 相国寺(5)将軍の子⑤

文字数 479文字

 二年前の夏。
 真木島の足利義昭に攻め寄せる織田軍は、
縹渺(ひょうびょう)たる宇治川を信長の号令一下、
決死の覚悟で渡河した。
 百戦錬磨の将兵達すら及び腰になる大河を前に、
信長が先陣を務めると言って、
馬脚を濡らしたのだから、
全員上も下も、
また年若い小姓達も馬廻りに護られながら必死に進んだ。

 やがて、合戦が始まった。
 矢が放たれ、石礫が投げられ、
銃弾が浴びせられる真木島の城に、
赤子の義尊も居た。
 将軍は真木島に勝る城郭はないと考えて籠り、
信長を迎え撃ったのだから、
火を放たれて追い詰められると呆気なく降参となった。

 煙を浴び、吸って、
花の御所の主たる将軍も、奥方、御女中ら婦人達も、
煤塗(すすまみ)れの姿は哀れ、惨めを絵にしたような有様だった。

 義尊の乳兄弟達は御女中達が護り、
乳母は赤子の義尊を離さず、かい抱いていた。

 信長の背を追うように川を渡った仙千代は、
兜の内側に潜ませて濡らさず守った手拭いを
義尊の乳母に差し出した。

 怨敵の小姓が差し出す純白の布。
 憎悪の目は明らかだった。
 
 仙千代は尚も差し出した。
 
 若公を守護する思いの一念か、
乳母は受け取り、赤子の頬をそっと拭った。


 
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