第384話 初霜の朝(3)高橋兄弟

文字数 978文字

 彦七郎。

 「照之進殿の弟なる人が高橋の名跡を継いだと聞く。
武家から百姓に転じ、苦労を重ねつつ、
既にたいそうな収穫をあげており、
なかなかの才覚であるとやら」

 虎松が答えるには亡父の弟、
つまり叔父なる人物は小木江が攻められた折、
長病で臥せっていた為、出仕しておらず、
死は免れたものの、
兄はじめ一族の男達が命を落とした事実に武士を捨て、
帰農したのだという。
 虎松、藤丸は、不服の顏を隠さなかった。

 「叔父上は良うして下さる。
儂らが、それ釣りじゃ、栗拾いじゃ、花見じゃ、
あっちの祭り、こっちの祭りと出歩いて、
田畑仕事が疎かになることがあろうとも、
困ったものだと苦笑なさりはするものの、
厳しく叱責なさったりはせん。
 じゃが、侍になりたい、
父上同様、織田の殿様にお仕えしたいと口の端にあげようものなら、
そりゃあ、お怒りになる。
 近江源氏に(いにしえ)を辿る栄えある家名、
これを断絶させるわけにはゆかぬ、
我らは地を耕し、根差し、暮らすのだ、
上様の天下静謐事業をこの地の実りをもってお支えするのだ、
左様に申されるんじゃ」
 
 「儂ら、棒術も組手もやれる。
馬にも乗れる。
 が、互いが相手の我流。
 叔父上は儂らに何でも教えて下さる。
読み書き、算術。
 じゃが、武術、兵法は……」

 侍になりたい、いや、戻りたい、
父同様、織田家に仕え、「武家」高橋家を再興したい、
兄弟の切望は明らかだった。

 彦七郎は、

 「確かに今の御当主は照之進殿の禄をお返し申し上げ、
先祖伝来の地で百姓となられた。
 とはいえ民も武器は備えておって、
村落を守る為、武力を行使し、
合戦となれば打って出る者も居る。
 叔父君はそれさえ為さらぬのか」

 虎松が、

 「あくまで農家として生きるのだと。
生産の向上に努め、これを広げ、
一人でも貧者を減らし、誰もが腹一杯食べられるよう、
高橋の家は尽くすのだと」

 と顔を曇らせると藤丸は、

 「父上は武士の本懐を遂げられた。
 信興公は敗戦の将であるとして責を負い、
御自ら先んじて自害あそばされ、
家臣に逃げたいものは逃げよ、命を繋げと仰った。
 父上は逃げようと思えば逃げられた。
 が、八十という皆様方が殿の後を追った。
儂も兄上も今一度、高橋の名を高く掲げんと、
ずっと胸に秘めておったのです」

 仙千代が鯏浦へ帰省すると
前回も今回も神出鬼没に姿を見せた兄弟は、
(さむらい)として生きるが本望なのだと訴えていた。

 
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