第121話 若僧(3)興福寺③

文字数 648文字

 若江での愁嘆場が思い出されたか、
涙を拭った晴道(せいどう)から仙千代はいったん目線を外し、
むしろ明朗を装って、
義尊の乳兄弟であろう、小さな僧に話題を向けた。

 「幼子(おさなご)の成長はほんに嬉しく、
胸ときめくものでございます。
しかもお二人は固い豆をばりばりと」

 晴道は笑顔に戻った。

 「元尚(げんしょう)殿は乳母殿の御二男にて、
若公の従者として入山しました」

 「乳母殿は?」

 「夫君に先立たれておられる身ゆえ、
二年前の沙汰を機に、
いったん京の実家へ戻られました。
幸運にも、さこ姫直々に御声掛かりがあって、
近い内に二条家に女御として上がられるとか」

 二条家といえば二条昭実(あきざね)を指しており、
義尊の生母さこ姫の再嫁先だった。
 播磨の大名の姫、さこ姫は、
信長の養女となって将軍家に嫁ぎ、
今は公卿の世界に身を置いている。
 今回さこ姫は、
嫡男の乳母として親しくした貴顕の女人を
身近に呼び寄せた。
 仙千代は姫の孤独と共に昭実との関係の良さを窺い知った。
 無論、昭実のさこ姫への気遣いぶりは、
姫の後ろ盾が信長であることに起因している。
しかし、冷えた夫婦仲なら、
義尊の乳母を二条家で召し使うなど、
昭実が許すはずもないことだった。

 「元尚殿が御二男なれば、
あの場に一緒に居られた兄君は?」

 「公に付き従って、西国に」

 公とは足利義昭だった。
 例えば義昭が、
幼くして入ったこの興福寺では覚慶という名の僧でありながら、
兄の義輝が誅殺されると還俗し、
将軍になったように、
寺へ入ったからと
義尊や元尚が生涯通して仏門に身を置くのかどうか、
誰にも分らぬことだった。

 
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