第57話 岩村城攻め(1)公居館①

文字数 782文字

 信長は志多羅の戦いで勝利を収めると、
矢継ぎ早(やつぎばや)とはこのことで、
三河に居ながらにして越後の上杉家へ使者を出していた。
 
 その通達は、
武田勝頼が三河・信濃国境に進出したので信長自ら出馬し、
(ことごと)く敵軍を撃破して、
勝頼は身一つの態で逃げ帰ったこと、
続いて間髪入れず奥三河の田峰(だみね)城、武節(ぶせつ)城、
作手(つくで)城を織田・徳川連合軍が奪還したこと、
家康は今川氏真(うじざね)の身柄を配下に置いていて、
現在は武田の領土となっている今川家の旧領 駿河への圧迫を強め、
高天神城への補給路を断つべく兵を配置したこと、
嫡男 信忠を総大将とした岩村城攻めを下知したこと、
以上の情勢から、
上杉としても信濃、甲斐方面への軍事行動の好機であること、
以上を報せるものだった。

 これより以前、上杉家の当主、輝虎は、
名馬を贈って寄越すなど、礼節を見せていて、
信長はこの時期、
上杉を武田に対する圧力として捉えていた。

 今回、信忠が率いる軍勢は三万で、
昨年の長島征圧戦と同規模だった。
 異なっているのは、
長島では全軍十万強の中の三万であったのが、
岩村城攻略では信忠が総軍の将となり、
全ての指令を行う立場になることだった。

 志多羅同様、この東濃遠征でも、
河尻秀隆が信忠軍の副将として任命されていた。

 志多羅の陣城で勝頼を迎え撃とうという前夜、
秀隆に信長が、
信秀、信長、信忠という三代に対する忠節に謝念を表し、
鉄兜を授け、
信忠、信雄(のぶかつ)を預けたことは、
岩村城攻めにも繋がっていて、
岐阜の公居館で信長は、
秀隆を父とも思い、よく知恵を借りるようにと、
独り立ちしようという嫡男に父心を見せて、
再び言葉を贈った。

 信忠は上段の信長に(こうべ)を垂れて平伏し、
大将戦への決意に添えて、
三万の軍勢を与えられた謝意を表した。

 「時に竹丸。仙千代」

 少し離れて信忠の脇に座していた二人に、
信長から声が掛かった。
 仙千代、竹丸以外の信長側近は、
菅谷長頼、堀秀政が居た。


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