第304話 再会(3)岩村殿①

文字数 857文字

 過ぎ去りし日々、
幼い信忠が憧憬を抱いた虎繫だった。
家康をして猛牛とまで言わしめた烈将を
総大将戦初の我が身が見下ろすことに違和を感じぬよう、
己を律することができた信忠だったが、
於艶の方との相対は、
向かう手足が鎖で繋がれたように重かった。

 入室すると於艶の方は平伏しており、
指に目が行った信忠は、
父や自分とよく似た形をしていると見とめ、
いっそう心を暗くした。

 信忠の許しにより面を上げた大叔母は、
岐阜で共に過ごした時期があり、
かつての美容は記憶にあった。
 今、半年もの間、
厳しい籠城の憂目に遭ったはずだのに、
身は細り、頬が痩せたとはいえ、
於艶は十分に美しく、
真の美貌というものは如何なる境遇を経ようとも、
失われることはないのだと驚きが浮かぶ。

 於艶の目にも驚愕があった。
元服を終え、朝倉・浅井、
長島一向一揆、志多羅原と、連戦を経た信忠に、
往時の信定、信秀、信長の面影を見たのか、
または御坊丸や六大夫と似たる面立ちなのか、
その眼には一瞬、喜び、温か味が満ちた。

 二人には同じ血が流れていた。
織田の血脈に生まれ、育って、
今日この日は勝者と敗者になっている。

 遠山景任(かげとう)病没後、
岩村城は信玄の命を受け、虎繫が攻めた。
 同時期、信長は、
長島一向一揆にかかりきりで救援は形ばかり、
岩村は三ヶ月の籠城の末、武田方に落ちた。

 この人が幸福な末期を遂げる道は、
百に一つもあったのだろうか、
遠山家 女城主として全うしたなら、
岩村殿はもう生きてはいない……
城兵は武田の虜囚となり、
八百年の名門、遠山一族は霧散して、
御坊丸も命は無かった……
 秋山軍の脅威が消えれば次は織田勢に城兵は討伐され、
遠山一門が壊滅した今、
確実なのは、
御坊が勝頼には織田家との絆として、
無事、長らえていることだ……

 三年前、虎繁が包囲した岩村城。
兵、家来、御坊丸の命の保証は、
ただ、於艶が虎繁の(つま)となるのかどうか、
一点にかかっていた。

 虎繫ほどの男が惚れに惚れた女人が、
岐阜で見初めた岩村殿だった……
幸せを虎繫により知ったなら、
何と皮肉に出来ているのか、運命は……

 
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