第302話 再会(1)虎繫①

文字数 983文字

 秋山虎繫、その(つま) 於艶の方、
家老 大嶋長利、座光寺貞房は、
焼失を免れた二の丸にそれぞれ留め置かれていた。

 虎繫は三方原の戦いで大敗北を喫した徳川家康が、
幾人もの身代わりを立てつつ浜松城へ命からがら逃げ込むところ、
最後まで追い詰め、家康をして、

 「さても秋山、猛牛にも似たる恐ろしき男」

 と言わしめた烈将でありつつ、
甲斐源氏の末裔として武田家にも並ぶ名族の出であり、
信忠と松姫の婚約では信玄の名代として岐阜を訪れており、
十に成ったばかりの信忠は、
「甲斐一の美男」と称されただけはある虎繁の
涼やかにして威風を放つ姿、物言いに名門武士の品格をみて、
憧憬にも似た思いを抱いたものだった。

 宿敵であったはずの武田の姫が正室となることも、
婚約成立しようとも、
輿入れの日がまったく未定であることも幼い信忠には、
松姫との婚姻の何もかも現実味がなく理解の外ではあったが、
覇道に邁進する強烈な父の圧迫と、
定められた軌道を僅かも外すことの許されぬ我が身の不自由に
未熟な不満を燻らせていた日々、
使者である虎繁の幾度かの滞在の間、
父は大そうなもてなしで、
ある日、七の膳まで披露された本膳料理は厳格に正式な上、
豪華極まり、
またある時は京から猿楽団を呼び、
鵜飼い船を仕立て、自ら供応し、
虎繫の存在は当時の信忠を浮き立たせた思い出が、
鮮やかにあった。

 古木の枯枝のように痩せさらばえ、
髪は色を失って皮膚はかさつき、
眼光だけが鋭く残る虎繁は信忠の知るかつての虎繁ではなく、
長期の籠城戦と無残な敗北は、
甲州美男を十も二十も老いて見せていた。

 これが六月(むつき)もの間、三万の軍勢を苦しめ、
御坊丸を囚われの身にする秋山虎繁……

 聞けば信玄は生前、
御坊丸の聡明を気に入って養子にしようとしたという。
 自ら五十君久助なる重臣を傳役(もり)として選び、
文武を授け、信玄死後、勝頼は勝頼で、
嫡子たる武王丸の従弟(いとこ)にあたることから下には置かぬ扱いで、
人質といえども織田家の若君としての待遇は
間違いのないところであると放った忍びは伝えた。
 が、そのようなことはどの大名家でも同じであって、
手元に置いた名家の親族を粗略に扱う武将は居ない。

 信忠の考えは決まっていた。
 岩村攻め総括、ひいては、
虎繫に対する決着に甘さを見せれば勝利は薄まり、
勝頼に一寸とはいえ、にじり寄ることになる。
 完勝の示威に虎繁の死はけして外せぬことだった。

 

 





 

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