第15話 龍城(9)騒擾③
文字数 1,105文字
山の合間を縫って、
丘陵の岡崎城に届いた風は、
夢に火照った仙千代の頬をすっと冷やした。
本丸御殿の北側に井戸があり、
夜目に葵の紋の旗標が風を受け、揺れていた。
勝丸が居合わせたのは岡崎の城兵だった。
篝火 が時に爆 ぜ、
勝丸と兵の間の緊迫を表しているようだった。
この時刻、
井戸端に集っている程度の兵なのだから、
城主 信康の家来とはいえ、
地位はけして高い者達ではない。
有象無象 を相手に勝丸、
何を言い争っておる、
しかも、そ奴らは、
足軽といえども城主の兵、
何があっても面倒な奴ら……
何を聴いても、
聴こえぬ素振りでおられなかったのか……
この後の厄介を思い、
仙千代は内心、舌打ちをした。
勝丸はけして短気な質 ではなかった。
信忠の近侍を務めるだけはあり、
目端が利いて、回転も速い。
それが怒りに声を震わせているのであるから、
余程の言葉を耳にしたに違いなかった。
「取り消せ。
我が殿を侮辱した言を取り消せ」
勝丸は精一杯、堪えつつも、
怒気は拭いようがなかった。
「言とは。
いやあ、何を申しましたかの」
「確 と届いた。
間違いなく聞いた。
怯者 、木偶の坊 、役立たず……」
勝丸の歯軋りが夜陰に呻りを上げるかのようだった。
勝丸の怒りは、仙千代の怒りでもあった。
違う!若殿は臆病者などではない!
上様の厳命により、河尻様を従えて、
いつ何時 でも打って出る御覚悟で、
総覧なさっておいでだったのだ!
総大将の命 を守るは戦の基壇 、
好き勝手は許されぬ!
若殿は作戦を厳守しておられたのみ!
木偶 などではない、若殿は!
断じて、断じて!……
仙千代こそ叫びたかった。
桶狭間以降、
三河の主はあくまで徳川家として、
上様は遇されてきた、
であればこそ、
この合戦も三河の衆に先鋒を任されたのだ!
それでも上様は徳川家を支えんと、
三万の巨兵、
長大堅固な陣城で戦いに臨み、
戦を終えれば快く三河をお与えになり、
淡々と戦後処理を進めておられる……
岡崎はこの恩を仇で返すと言うか!
逸 る心を押さえ、
三河に花を持たせた若君達を悪し様に言い、
何の鬱憤晴らしか!……
信忠への陰口は、
仙千代を怒りで震わせた。
早春の長良川で三郎が溺れた時は、
信忠自ら助けようとして、
三郎を救った仙千代が流されたなら、
我が身も顧みず、
仙千代を追い、川へ入った信忠だった。
咄嗟のあの優しさは真 の強さ、
若殿は強い御人、
上様の御嫡子としての責を負い、
懸命に生きておられる!……
この時、仙千代は、
もしや信忠は、
織田家を背負う嫡男として、
敢えて仙千代を振り切って、
嫌う真似をしたのではないかと思い浮かんだが、
眼の前の危機が甘い幻想を、
直ぐ断ち切った。
仙千代が歩を進めても、
勝丸は気付いていなかった。
丘陵の岡崎城に届いた風は、
夢に火照った仙千代の頬をすっと冷やした。
本丸御殿の北側に井戸があり、
夜目に葵の紋の旗標が風を受け、揺れていた。
勝丸が居合わせたのは岡崎の城兵だった。
勝丸と兵の間の緊迫を表しているようだった。
この時刻、
井戸端に集っている程度の兵なのだから、
城主 信康の家来とはいえ、
地位はけして高い者達ではない。
何を言い争っておる、
しかも、そ奴らは、
足軽といえども城主の兵、
何があっても面倒な奴ら……
何を聴いても、
聴こえぬ素振りでおられなかったのか……
この後の厄介を思い、
仙千代は内心、舌打ちをした。
勝丸はけして短気な
信忠の近侍を務めるだけはあり、
目端が利いて、回転も速い。
それが怒りに声を震わせているのであるから、
余程の言葉を耳にしたに違いなかった。
「取り消せ。
我が殿を侮辱した言を取り消せ」
勝丸は精一杯、堪えつつも、
怒気は拭いようがなかった。
「言とは。
いやあ、何を申しましたかの」
「
間違いなく聞いた。
勝丸の歯軋りが夜陰に呻りを上げるかのようだった。
勝丸の怒りは、仙千代の怒りでもあった。
違う!若殿は臆病者などではない!
上様の厳命により、河尻様を従えて、
いつ
総覧なさっておいでだったのだ!
総大将の
好き勝手は許されぬ!
若殿は作戦を厳守しておられたのみ!
断じて、断じて!……
仙千代こそ叫びたかった。
桶狭間以降、
三河の主はあくまで徳川家として、
上様は遇されてきた、
であればこそ、
この合戦も三河の衆に先鋒を任されたのだ!
それでも上様は徳川家を支えんと、
三万の巨兵、
長大堅固な陣城で戦いに臨み、
戦を終えれば快く三河をお与えになり、
淡々と戦後処理を進めておられる……
岡崎はこの恩を仇で返すと言うか!
三河に花を持たせた若君達を悪し様に言い、
何の鬱憤晴らしか!……
信忠への陰口は、
仙千代を怒りで震わせた。
早春の長良川で三郎が溺れた時は、
信忠自ら助けようとして、
三郎を救った仙千代が流されたなら、
我が身も顧みず、
仙千代を追い、川へ入った信忠だった。
咄嗟のあの優しさは
若殿は強い御人、
上様の御嫡子としての責を負い、
懸命に生きておられる!……
この時、仙千代は、
もしや信忠は、
織田家を背負う嫡男として、
敢えて仙千代を振り切って、
嫌う真似をしたのではないかと思い浮かんだが、
眼の前の危機が甘い幻想を、
直ぐ断ち切った。
仙千代が歩を進めても、
勝丸は気付いていなかった。