第139話 三つの城(8)坂本城⑦

文字数 933文字

 「上様に万が一にも災難が降り掛からぬよう、
近侍の皆様は目を光らせておられる。
しかし、身中の虫とはよく言ったもの。
明智は口と腹が別のように思われてならん。
好例は坂本城。
坂本を賜った明智は己が家中に触れを出したという。
墨の一滴、米の一粒さえ我が物と思ってはならぬ、
すべて上様の思し召し、賜物である、
大恩を身に刻み、忠勤に励むべしと」

 一国の主となった光秀は城を築くと入城早々、
自らの筆で信長への忠孝を説く心構えを触書し、
末端の家来衆にまで回覧させたのだという。
 
 やがて噂は風に乗り信長の知るところとなった。
 信長は、

 「ほう、皆に読ませたか。
(おもしろ)い。
誰もが左様な心構えで忠節を尽くすのであれば、
天下の泰平もいっそう早まるというものだ」

 と、機嫌を示した。

 一方、目の前の秀吉は仙千代に、

 「明智……嫌らしいのう。
訓戒で事足りるものを書き認めて上下に回す。
御耳に届けんとする魂胆がありありじゃ」

 と、渋面を作った。

 仙千代は傾聴の佇まいでいる他なく、
黙して困惑を押し込めた。

 「その実、あの城を見よ。
上様は坂本をお与えになる際、
大湖(おおうみ)の防備を(しか)と固めよと仰せになった。
しかし明智の城、
防備は防備でさりながら豪勢に過ぎるのではないか。
あのように飾られた城、
思い浮かぶのは、
花の御所を真似たという多聞山城ぐらいのもの。
歓んでいただきたい一心で、
斯様な城を建てましたとあ奴は言うであろうが、
例えば忠臣 丹羽殿は、剛健にして質実の城。
上様の御座所こそ端正に整えられたが、
何よりも織田の大軍を支える兵糧庫、武器庫、
火薬庫に金をかけ、
上様が力を入れておられる船造りに携わる大工達の宿舎も、
それはもう、たいそうなものを建てられた。
丹羽殿、まさに臣下の鑑、天晴れな御方じゃ。
片や明智、坂本城は……」

 秀吉は唾棄した。
 
 「虚栄が瓦、慢心が柱。
通るたび、顔を背けとうなる」

 秀吉の苛立ちをよそに信長は、
落成した坂本城をくまなく見聞し、
純に素直な歓心を見せた。

 「攻めに耐え、出撃に易く、
尚、美麗であること甚だしい。
この城をいっそ貰おう」

 信長の気分上々の軽口に、
光秀が強張った笑顔に冷や汗を浮かべているのを
若童の仙千代は見た。

 「天下の覇者たる上様には、」

 光秀は声を張り、続けた。

 

 

 

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み