第147話 相国寺 寝所(5)抵抗⑤

文字数 967文字

 未だかつて信長に、
真からの強い言葉を投げられたことはない仙千代だった。
 叱責を受けることは間々あった。
 にせよ、
寵愛の発露とでも言うべき情けが必ず滲んで、
罵りなどでは決してなかった。

 それが今夜は失せろ、邪魔だと罵倒され、
背中を向けられている。

 仙千代にとり、その信長は初めてだった。

 「恐れながら、お優し過ぎるのです、上様は」

 信長は褥に立つと怒鳴りをあげた。

 「主の(たち)を云々するか!
左様な家臣は何処にも居らぬ!」

 仙千代は正座のまま両の手を床につき、
ますます深く伏せた。

 「恐れながらと申しております!」

 「失せよ!」

 仁王に睨まれた如くの仙千代だった。
 しかし尚も、

 「上様は信じ過ぎるのです、
誰をも、何をも」

 何をという中には、
運、さだめも含んでいたかもしれなかった。
 大名としての家格を失った今川家、
有名無実の態を為す足利幕府、
討伐した延暦寺、
勢力を落としつつある本願寺、
自滅にも等しい在り様の武田家、
それら信長が駆逐した敵は、
信長の才や力と共に、
天運の加護が働いていなかったとは言えず、
運を背負っていた信長が、
いつ逆運に遭ったとしても、
乱世では否運が当たり前にいつでもそこに転がっている。

 それを知らぬ上様でもあるまいに、
上様は何故……

 床の一点を見詰めていた仙千代は顔を上げ、
涙の目で訴えた。

 「強靭な御意志の上様なればこそのお優しさ、
それが人をお信じになる御心に繋がり、
今朝のような御振舞いになるのではありませんか?
隊列も馬廻りも無しに、
小姓衆のみをお連れになっての京入り。
京に接する坂本は明智殿が守っておられ、
京では帝や親王様はじめ、上様の御味方ばかり。
なれど悪漢が何処に潜んでいるやも知れず、
小姓数名の御伴では赤裸と変わりありませぬ」

 信長は二度までも謀殺を企てた庶兄を赦し、
一門衆として厚く遇すると同時、
やはり信長に、
二度の謀反を起こした同母弟(おとうと)の遺児を柴田勝家に養育させ、
丹羽長秀を後見として、
信忠ら、信長の子に殉じた扱いをしている。
 今は宿老として方面団長を担うその勝家とて、
そもそもは同母弟の家臣で、
信長と兵刃を交えた過去さえあった。

 信長は多くを討ち、断罪した。
だが、数多を赦免し、庇護を与えた。

 信長は枕を蹴った。
二つ並んだ枕の一方が壁に飛んだ。
 その枕は信長の枕で、
仙千代の枕は動かなかった。



 


 

 


 

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