第403話 涙

文字数 1,305文字

 「上……様?」

 「そうじゃ、岐阜の殿の御父上にして、
天下を治める大君じゃ」

 仙千代の厳しい物言いに秀政が割って入った。

 「万見様を困らせるでない。
御狂いの際、虎松、藤丸は目を(みは)る活躍をし、
直々のお褒めを頂いて、褒美は何が良いかと訊かれ、
小弁を取り立ててほしいと願い出たのだ。
 虎、藤の友誼を無駄にしてはならん。
 小弁が姿を消し、困るのは他でもない、
小弁を探せと仰せつかった万見様ぞ。
虎、藤も、馬でも金子(きんす)でもなく、
小弁が召し抱えられることのみ、望んだ。
 万見家の皆々、高橋兄弟、その厚情に報いる。
 人として、道ではないのか」

 小弁は顔を覆い、声をあげて泣いた。
 土間の外でも小弁以上の泣声がして、
その主は虎松、藤丸だった。

 彦七郎が二人に近付き、
中へ招き入れ、小弁の両脇に座らせた。

 「せっかく一緒に来たんじゃもの、
一緒に召し上げていただこう、
三人一緒に」

 と、年端がほぼ同じと思われる藤丸がまず言った。
 続いて兄の虎松が、

 「誰も頼りにしておったんじゃぞ、
諸国の言葉を知っておるのに皆が驚き、
他所から来た御客人達は小弁の周りに(たか)っておった。
 小弁、何やら貰っておったではないか」

 小弁はハッと思い出したかのように袖を(まさぐ)った。

 「伊勢だか伊賀だかの大商人という人が、
ほれ、礼だと言って、
うん、確かに何やら……」

 小弁が取り出したのは巾着で、
逆さにするとたいそうな銅の精銭が振り出され、

 「小弁、着物が仰山買えるぞ!」

 「手拭いも草鞋も、いや、馬も!」

 と兄弟が驚き、小弁の背をばんばん叩くと、
彦七郎が大笑いした。

 「長者じゃの、小弁!
その金子、小弁のものじゃ。
 小弁は長者じゃ」

 一座では観衆から多くの花銭を受けた小弁ながら、
すべて大人達の手に渡り、
自身は貧苦に喘いで暮らした。

 誰も、つられて笑った。
 笑いながら泣いている者も居た。
 仙千代もその一人だった。
 
 最後、秀政がまとめた。

 「小弁。
色々な者がこの世には居り、それは城とて同じだ。
 が、虎松、藤丸のような者は居り、
それこそが頼りの綱、心の宝なのだ。
 己の持てるすべてを使い、生きてゆけ。
 無い物ねだりは意味が無い。
 その金子、ただの金子ではないぞ。
小弁には価値がある、
力があると、その証なのだ。
 努力と知恵で生き抜いてゆく。
それは儂も万見も同じこと。
 誰も同じだ」

 それでも小弁は未だ身を小さくし、

 「儂は……読み書きが出来ん……
馬も乗れん……太刀の振るい方ひとつ知らん……」

 と、呟いた。

 今度は藤丸がその背をばしっと叩いた。

 「書けたではないか。こ、べ、ん、と。
誰に習った?
誰も教えてくれぬのを己で何とか覚えたのだじゃろ?
立派なもんだ。
誰もまずは名から始める。
字も馬も武芸も、ぜーんぶ、はじめの一歩からじゃ!」

 虎松が、

 「金子を寄越せ。
その金子で儂が教えてやるに!」

 と冗談を向けると真に受けた小弁は巾着を差し出した。

 「たわけ。本当に渡す奴が居るか」

 と虎松が叱る真似をすると鳩が豆鉄砲を食ったような小弁を、
またも皆が笑った。

 仙千代は笑いながらも涙が滲んだ。
 笑い過ぎた涙の振りをしていたが、
人の情に涙が途切れないのだった。

 
 

 


 

 


 



 
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