第30話 熱田 羽城(1)加藤邸①

文字数 1,098文字

 積年の圧迫であった武田家の影響を三河から排除した信長は、
天正三年五月二十四日、尾張に入ると、
代を継いで織田家に仕える
加藤図書之介順盛(ずしょのすけよりもり)羽城(はじょ)の邸に宿泊した。

 この一帯は、
信長が若い時代をすごした那古野城、
十三歳の折、元服式が行われた古渡(ふるわたり)城、
父、信秀の葬儀が営まれた萬松寺(ばんしょうじ)が集まっていて、
郷愁を覚えると同時、
初の武家政権を樹立した源頼朝の生誕地でもあり、
新たな気概を抱かせる吉祥満願の地と言えた。

 信秀は三河を牛耳っていた今川義元に対抗すべく、
末森城を築いて古渡を廃城とした。
 信長もまた、
尾張統一を進める過程で那古野から清須へ移った。

 信長は自分が亡父の辿った道を、
規模こそ異なるものの、
何かにつけ踏襲していると思うと、
信忠ら、息子達が武将として、
どのように成長を遂げていくのか、
期待を抱かないではいられなかった。

 仙千代でさえ、
勝頼を徹底的に追い詰めるべしと承知している……
岩村城攻めを現に指揮するは勘九郎……
攻め立てる的、岩村は、
勘九郎には大叔母となる於艶(おつや)が居している……
勘九郎は何処まで非情になれるのか……

 ひとつ戦が終われば直ぐ次が待っていた。
 この後、信忠は岐阜へ凱旋し、
支度が済み次第、岩村城攻撃に入る。
 信雄(のぶかつ)は、
婚姻同盟を端緒として織田家が乗っ取りつつある田丸城へ帰還して、
引き続き、実権を握る動きを強めねばならない。

 今夜、信忠、信雄は、
図書之介の別邸に泊まることになっていた。
 夕餉を共にすることとして、
若い二人に訓戒を今一度授けておかねばなるまいと、
信長は考えた。

 橋を渡り終えると、
桶狭間の戦いが今も脳裏をかすめる大高に入った。
 
 大高城は今川家の人質時代の家康が、
桶狭間に於いて義元の命を受け、
決死の働きで兵糧の運び入れに成功すると、
義元の死を確認するまで守備についていた。
 家康は義元が信長により討たれたと報せを受けて、
岡崎に半ば逃げ帰った格好だった。
 今となっては大高は、
信長と家康の面白くも思われる因縁の地だった。

 信長は岡崎城での徳川の面々の見送りの中に、
豊田藤助秀吉の顏があったことを思い出し、

 「あの鰻は美味かった。
藤助は鰻の焼き手として一流じゃの」

 すると仙千代は、

 「長良川で鰻が獲れましたなら、
藤助に焼かせましょう」

 と言った。

 「どうしてあれが岐阜に居るのだ」

 仙千代は穏やかに微笑んだ。

 「この仙千代も藤助も思いの底は同じ。
左様な二人なれば(よしみ)が結ばれたのです」

 この年頃の者は日に日に変化、
成長が著しいが、
酒井九十郎を預かる件といい、
藤助が岐阜で鰻を焼く話といい、
思わぬことを思わぬ時に繰り出す仙千代を、
信長はそれこそ面白く見た。






 



 


 

 

 
 

 

 

 




 
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