第406話 披露目(2)篠笛

文字数 1,172文字

 浅黄色の小袖はところどころ接ぎがあり如何にもお下がり、
小道具は手拭い二本。
 が、緊張に身を縮めた小弁はもう居なかった。
 まず、五月女が京への憧れを歌う田植唄。
次に、坂、坂、坂を上がり終えれば
霧が雨に変わったという馬追唄。
 最後は、死に別れた母子が、
あの世とこの世で心を通わせる物語を寸劇で演じ、
早乙女の瑞々しさ、馬子の素朴、母と子の情愛に、
上下なく誰もが楽しみ、
最後は感涙に鼻をすする者も居た。

 「年端もゆかぬ分際でその芸当。
笠代りに手拭いを被った姿は清らかな乙女、
かと思えば馬子が頬かむりの滑稽味。
 たいしたものだ」

 「いや何といっても母と子の声色の妙。
涙を禁じ得ぬ」

 「小弁とは可憐な花弁(はなびら)を指しておるのか。
愛くるしい見目形にぴったりじゃ」

 客人達が誉めそやし、とある富豪は、

 「ううむ。これは天与の才か。
田舎一座では勿体ない。
丹波の梅若にでも弟子入りさせれば、
猿楽に名を刻むやもしれませぬ。
 ううむ……ううーむ」

 と、しきりに唸り、
懇意であるのか猿楽の名門、梅若家へ、
小弁を入れられぬかと早くも算段する始末だった。

 「何を早まる。
その者を連れてゆこうとするでない。
小弁なる者。
 せいぜい名を書くが精一杯の無知蒙昧やもしれぬ。
が、幼き身でその至芸、天晴れである。
 艱難辛苦の努力があったと伝わろう。
 うむ、筑前守(ちくぜんのかみ)を見よ。
あの者も研鑽に研鑽を積み、今に至る。
一人の藤吉郎、一人の小弁は百人力じゃ」

 何と織田家に於いて出世頭の秀吉に、
未だ何も為してはいない小弁は名を連ね称賛された。
 そこではヒソヒソ声で、

 「万見殿の息のかかった者ゆえな……
上様が気に入られるのはもっともなこと」

 「漬物石も銘名となる。
万見様のものなれば。
それ程の御寵愛でありますからな」

 と仙千代の耳に入るか入らぬかの囁き声が聴かれたが、
やっかみとはいえ事実としては違いないところであり、
仙千代は超然と聞き流した。

 「どれ、まだ他に得意があるか。
あると申せば披露せよ」

 扇で指した信長に小弁は畏まりつつ、

 「篠笛(しのぶえ)を吹けましてございます」

 篠笛は竹を材料として作られた最も素朴な横笛で、
庶民の愛用するものだった。

 「誰ぞ持ってまいれ」

 信長の呼び掛けに、とある茶人が笛を差し出した。
それは花梨を材とし、黒漆で仕上げられた高価な笛で、
貴族や武将が好んだ龍笛(りゅうてき)だった。
 音域が広い龍笛は繊細、華麗な表現が可能で、
その点、篠笛は素朴な音色だと言えた。

 艶やかに黒光りする龍笛を目にし、
小弁は驚き、身じろいだ。
 小弁の暮らしでは、
いや、海辺の村に居た頃の仙千代とて、
そのように高尚な笛は祭禮の際、
厳かに演奏される以外目にしたことはなく、
小姓勤めに入った後に素養だとして笛太鼓を習ったが、
当時は触れたこともないものだった。

 「篠笛なれば、ここに」

 と発した主に仙千代は意外を隠せず(みは)った。

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