第283話 祝賀の日々(13)権大納言・右大将昇進

文字数 1,184文字

 「本願寺の御使者は、
野鹿だとばかり思うておられましょうね」

 「興福寺と本願寺とて、
けして仲が良好であるわけでなし、
信者、権勢を奪い合う仮想的のようなもの。
 敵の嫌がることは愉快であろう、
もしこれが神の鹿なら」

 「敵の敵は味方だとも申します」

 本願寺は当然のこと、
興福寺とて信長を決して快くは思っていない。
 両者にとって信長こそ、
共通の敵だと言えた。

 「ふむ、憎たらしい言い方を覚えた」

 「上様の御真意、
興福寺が気付かぬ素振りでいること、
この方がよほど憎らしく思われます。
 獣と人命を等しく扱うことは由々しきことであり、
仏法から外れた悪法そのもの。
 であるにもかかわらず、
守護の(ばん)殿に珍酒を貢いで不快を表すとは」

 「まったくだ。
しかし昨年来、悪法を実行せぬでおるのは、
興福寺とて悪法であると知っておる何よりの証左であろう」

 信長が鹿を捕縛したのは戯れでも気紛れでもなく、
大和の実情を知るにつれ、
朝廷や幕府と紐帯で結ばれた興福寺の絶対権威、
圧倒的な富の独占、集積に驚いて、
その専横を止めるべく、
塙直政を守護に置くと、
裏で妨害工作を受けつつも大和の主として数々の施策を打ち出し、
たとえ名刹であろうとも、
信長の政道に従うべしという意志表明だった。

 「地獄耳の本願寺なれば、
この後いずれ、
美味なる鹿が大和の神鹿であったと
聞き及ぶのでありましょうね」

 「聞くも話すも好きにすれば良い。
既に腹に収まった後だ、
坊主達の血肉となって、鹿はそこで命の再生をみた。
それが自然の(ことわり)だ。
親鸞聖人は我が死体は川に流して捨てよと申されたという。
左様な聖人なれば儂を叱りはせぬであろう」

 二人の膳の皿は、
いつしか綺麗さっぱり、空になっていた。

 本願寺の使者を見送る際、
鹿の声が何処ぞから届くのを僧達は不思議そうにしていたが
訝しみを誰も口の端に上げることはなく、
一行は粛々と摂津へ発った。

 寺内で村井貞勝と顔を合わせた仙千代は、

 「今年は鹿が増え、六頭となった。
犬に襲われぬよう、柵を堅牢に設けねば。
上様とて、悪趣味でなさることではなく、
大和の民の安寧を願ってのことであらせられる故にな」

 と聴き、

 「御苦労様でございます」

 と心から告げ、頭を下げた。

 この日よりおよそ十日の後、
天正三年霜月四日、
信長に新たな称号と名誉が加わった。
 権大納言(ごんだいなごん)及び、右大将に命じられ、
同七日、
予め宮中に建造させておいた式場に参上し、
儀式を済ませると清涼殿に参内し、
帝に御礼を申し上げると、
有り難くも盃を賜って、
信長は返礼に莫大な砂金と反物を献上した。
 帝はそれを公家に分配し、
信長は公家達に尚も新たな所領を進呈し、
威光はますます輝いて、
同行の御弓衆百人共々、
名誉に思うところ甚だしかった。
 前代未聞の面目を施した信長は、
天下の政務と社交に忙しく時を費やした。

 そこへ、武田勝頼、岩村進攻の報せが入った。



 
 

 


 

 
 

 

 
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