第83話 岩鏡の花(15)水精山⑥

文字数 730文字

 水晶山は本陣と山頂陣があり、
立て籠もりを決め込む秋山虎繫に圧迫を加えんと、
岩村城に一段近い平地に、
この後、
大将陣を構える話が出ていた。

 日没間近、
信忠は戦況報告を受け、
新たに陣を構築する件で裁可を下すと、
夕餉、洗面と済ませて、本陣の寝所に入った。

 三郎は既に下がって、
勝丸と二人だった。

 いつもなら直ぐに横たわるのだが、
今日は褥に座して、
勝丸が扇ぐ風を受けていた。

 本陣は中腹より上にあり、
暑気は滅多になく、
雨天の夜は時に冷え込む程だった。

 「扇がずとも良い。もう休め」

 扇は止んだが、

 「主が起きておられるものを、
小姓が先とは、出来ませぬ」

 と言うので、(もっと)もだと思い、
かといって、寝床に就くでもなく、
灯明のちろちろと燃える火を、
見るでもなく見ていた。

 炎がいつしか水飛沫(みずしぶき)に変って、
陽炎(かげろう)のように仙千代が現れた。

 「初めて見ました。美濃の滝を」

 滝の内で二人きり、
瞬時にあの日あの時に還った互いは、
今も熱い想いが燃えているのだと知る。

 半裸の仙千代は美しかった。
濡れた褌は局所の翳りをうっすら映した。
 水晶山は水の精の棲み処(すみか)だと聞く。
精は仙千代に乗り移ったかと思われた。

 が、心を奪われた信忠は、
極めて一瞬だった。

 何ひとつ、儂を責めはしなかった、
仙千代は……
負い目は儂にあり、
仙千代は何も悪くない……

 仙千代を苦しめた(とが)は信忠の心にいつもあり、
だからといって解き放ち、
詫びて許されようとしてはならない宿命だった。
 
 勝丸が信忠の背にそっと頬を寄せてきた。
 胸に回された手に信忠も重ねた。

 「今宵は冷えますね。
御手が温こうございます」

 「扇いでおったではないか、先程」

 「して差し上げていたいのです、
何か、若殿の御役に立とうと」

 勝丸の鼓動が背に感じられた。

 
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