第370話 冬の潮騒

文字数 1,394文字

 長島一向一揆で本願寺に(くみ)し、
信長に抵抗した一帯の豪族、服部党は、
滝川一益の温情により木曽川河口の開墾を許され、
戦後間もなくは若者の姿がなく活気を失っていたと聞くが、
粗末ながら整った趣の家が並ぶその土地は、
塩分に耐性のあるオカヒジキが自生を始め、
やはり塩害に強いとされるネギの類いが植わって、
冬空の下、青い茂りが目に鮮やかだった。

 「服部一族、
復興の足並みが確かなようじゃ。
 作物も良く育ち」

 と言う仙千代に兵太は、

 「姿を見せれば服部の子らも、
万見の旦那様は分け隔てなく読み書きを教え、
帰りには握り飯を与え、
目を細めておいでです。
 昨日の敵も何とやら。
最後は同じ人と人。
 仲良きことに勝るものはありゃあせん……」

 武士ではない兵太、兵次とて、
戦やその荒廃に巻き込まれ、
命を落とした血族は少なくない。
 言葉には真実味があった。

 「上様が乱世の縺れた糸を解きほぐし、
(しか)と平定の版図を広げておられる。
 岐阜の殿が天下をお継ぎになる頃は、
日ノ本は必ずや静謐となり、
大きな一つの国になっていよう」

 兵太、兵次が頷く横で美稲(みね)が声を上げた。

 「兄上、あれを」

 山口座は鯏浦(うぐいうら)西端に位置する荒れ寺の敷地に旗を立て、
触れ太鼓も賑やかに人を集めていた。

 「昨年も来ていたのです。
なれど父上はお許し下さらず、
於米(およね)於糸(おいと)から話を聞いては羨ましく思っていました。
 兄上のお陰で今年は見物が出来、
嬉しゅうてなりません」

 於米、於糸というのは近隣の下級武士の娘で、
美稲が親しくしているようだった。

 「儂が上様にお仕えする身である故、
万見の家に不始末があってはならぬと
自戒しておいでなのだ。
 美稲には分からぬことであろうが、
小さな崩れが石垣をも崩す。
 美稲には不自由じゃろうがその身を護り、
織田の方々に迷惑をおかけせぬ策でもあるのだ」

 仙千代自身、たった五年前は、
この海辺の村から彦七郎、彦八郎という年端もゆかぬ三人で、
何里も歩いて儀長城の餅つきの手伝いに出た。
 今は出掛けるといえば護衛を伴い、
源吾の祝言に参席した市江兄弟が今朝も万見家へ合流し、
兵太、兵次を交え、他にも家人が加わって、
総勢十人以上になっていた。

 美稲は何処まで解したものか幼いこともあり、
旅の一座の極彩色とも言える派手な旗飾りに歩みも速まり、
思いはそちらへ飛んでいた。

 「兵太達は観たのか、今までに」

 「儂は用向きで行かれませんなんだ。
兵次が確か、昨年」

 「儂は観ました。
達者な子役が居って母子物では誰もが泣いて」

 「そうか」

 達者な子役が小弁を指しているのは明らかだった。
 たかが田舎芝居の幼童が何故こうまで胸を騒がせ、
今日には岐阜へ発つという仙千代の足を運ばせるのか。
 理由は明らかだった。
 感情を表にすることに慎重な信忠が、
それこそ、たかが田舎芝居に喜怒哀楽を見せ、
童の歌を今一度聴きたいものだと言ったのだという。
 信忠こそが「理由」なのだった。
 どうした巡り合わせか、
仙千代の故郷にこの日やって来ているからには、
美稲がせがむからだと言い訳を付けてでも、
行かないわけにはいかないことだった。

 しかし、何を確かめに……
 儂は何をしようというのだ……
 誰に何を頼まれたのでもなく、
三郎に至っては危険視し、
疎んじてさえおるものを……

 美稲の楽し気な様に笑顔で応えつつ、
仙千代は信忠への思慕、
何の罪もないはずの小弁への嫉妬で苦しく乱れた。

 
 
 
 


 

 


 
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