第362話 慌ただしい日々(3)縁談

文字数 1,466文字

 信長はごく(ちか)しい縁者たる飯尾家の姫、
(はる)の存在を忘れていたのではなかった。
 織田家当主、いや、天下を統べる者として、
大名、武将、また公卿公家に至るまで人物、背景、
関係を常に頭に置いていて、
中でも縁組は組織形成の要諦であり、
重要事項の上部にあった。
 
 先程、合戦続きの多忙を理由として、
華姫の適齢を失念していたかのような物言いをしたのは
信長なりに様々思うところがあったからで、
様々というのはさて華の相手は誰なら相応、
いや、最も利を生む婚姻なのかと
巡らさないではいられないからなのだった。

 尚清は訂正せずいるものの、
信長は華の齢も十五だと承知している。
 十五といえば嫁して不自然はないが、
信長は当然「織田家の姫」の価値を知っており、 
またいくら信長が子沢山といえど
岡崎殿となっている長女の徳が十六で、
続く妹達は既に蒲生氏郷に嫁がせている姫以外、
もれなく幼女や乳呑児である状況下、
血統に於いて華は閨閥形成の切札として
易々とは繰り出せぬ掌中の珠だった。

 この尚清は夫婦揃って信長の血族であるばかりか、
生母は足利幕府管領(かんれい)家の娘、
その姉は滅亡家とはいえ北陸の主であった朝倉義景正室、
叔母なる者は左大臣 三条公頼の娘にして
細川家へ養女で入った本願寺顕如の(つま)
 しかも尚この叔母の亡き実姉というのが武田信玄継室で、
武田家は信長の養女、龍勝院が没後、
嫡子 武王丸が父である勝頼の後見を受け、
武田家次期当主と決定している。
 
 「華を嫁にと願う者は後を絶たぬであろう。
華一人を迎えることでどれ程の栄誉、
力を手に入れられるのか。
 その算段が働かぬ奴は居るまい」

 「陰日向に縁談は無くはなかったのでござる。
いや、実は煩わしい程、降るように。
とはいえ勝手は許されませぬ故、
いずれということで上様の御声掛かりを待っていたようなところ、
つい先日、京にて親族の集まりの折、
細川家現当主 右京大夫 昭元殿が未婚であると話題が流れ、
そこで華の名が出、
右京殿は二十七の男盛りにて、
悪くはない縁組やもしれぬと」

 「出羽守にとり細川右京大夫は従弟(いとこ)
ふむ。悪くはない。
 悪い話ではない。確かに」

 信長の姪たる華姫が名門武家の細川へ嫁す。
 これは信長が、
管領家にして右京大夫の格式を保持する家の
当主の伯父になることを意味している。
 貴族社会は当たり前のこと、
新旧及び敵味方、多方面に閨閥を結ぶ細川家を、
信長が親族となり押さえておかない手はないことだった。

 「して、左様に浮かぬ顔は何なのだ。
男子ばかりの中、唯一の姫、華が可愛く、
手離すのが寂しいのは分かる。
 が、釣り合いのある縁談じゃ」

 気心の知れた仲であることの証左か、
困惑の面持ちを崩さぬながら尚清は信長にじりと近付き、

 「我儘に育て過ぎました、華を。
右京大夫殿は本願寺と戦って敗け、
居城を三好や松永に落とされるなど武運に恵まれなかったが、
堕落した足利義昭を見限って京に留まり、
将軍権力の否定に於いて重大な働きをするという
政治感覚の主にて、まこと危うさのない確かな人物。
 が、いくら説いても首を縦にせぬのです。
親の言うことをきかぬのです」

 「何と。呆れた。
親の決めたことに従わぬとは。
 けしからぬ。実にけしからぬ」

 「まさに、まさに……」

 「何が不服で左様な真似を。
いや、娘の恥を何故(さら)す」

 持している秀一、仙千代は年若く、女人も知らず、
共に取り澄ました顔を決め込んではいるが、
このような話題では内心困惑しているに違いなく、
涼し気な様を装った二人は生々しい案件に身を置きつつ、
何やら浮世離れした風にも映った。




 

 



 
 
 



 

 

 


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