第163話 蹴鞠の会(1)晴れ舞台①

文字数 662文字

 天正三年、文月の三日、
梅雨が明け、
稲穂がふくらみ始める夏の日に、
禁裏で誠仁(さねひと)親王が蹴鞠の会を催した。
 室町幕府の弱体化に伴う乱世に於いて宮廷は困窮し、
先帝の葬儀を行うことさえままならず、
まして、大規模な蹴鞠の会の開催などは、
長年、願っても到底無理なことだった。

 誠仁親王は信長の猶子、
つまり名目上、養子となることで、
確固たる経済的後ろ盾を得て、
信長もまた、
宮廷の保護者である面目を保つこととなり、
互いが互いを支えることで利益は合致していた。

 今回の蹴鞠の会は、
正規の儀礼に則った大変立派なもので、
招かれた信長は警護の馬廻り衆にも一張羅を着せ、
粛々と御所に向かった。
 参集の顔触れは出場者も見物側も、
信長含め全員が公卿公家で、
帝も御簾(みす)の向こうから
御高覧なさるかもしれぬということだった。

 誠仁親王は信長の猶子という立場であることから、
仙千代は何度か御目に掛かっていた。
 蹴鞠の会についても誠仁親王の意気込みは、
前以て直接耳にしていて、
親王は主賓は実は信長なのだと仰せになり、
仙千代は、
長らく開かれなかった蹴鞠の会を催す喜びを、
信長に献じようという親王の言葉は、
近侍として晴れがましく受け止め、
僅かでも競技を拝見できれば幸いだと、
胸を躍らせていた。

 「左様に観たいか、蹴鞠を」

 「それはもう。
如何なる妙技が披露されるか、
興味を持たぬ者は居りませぬ」

 という会話を信長との間に交わしはしたものの、
御簾の陰にもしや帝がおわすのかと思えば、
塀の先にでも鞠を蹴る音を聞かれれば
後々までの語り草だと仙千代は考えていた。


 
 

 
 


 

 

 

 
 

 
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