第263話 勝家の夢(8)市と勝家①

文字数 651文字

 信長に珍しく困惑が浮かんだのを見逃さず、

 「柴田殿が於市様を御正室にと望まれた由縁は、
如何なる契機をもってして、
左様に思われたのです」

 と元来慎重な秀政がずばり、尋ねた。

 「いや、それは……」

 勝家は話にならない。
赤面を拭き拭き、ただ床の柾目を見ている。

 「庄助殿は何ぞ、聴いておられますのか」

 秀政に問われ、かくなる上はということか、
勝照は明快だった。

 「なにぶん、はるか以前のことにつき、
仔細は違っておるやもしれませぬが、
我が殿が戦傷(いくさきず)で臥せっております時、
七分咲きの白梅と共に、
効能豊かだという脂薬(あぶらぐすり)を於市様が遣いを寄越し、
見舞いにお贈り下さり、
膏薬の効き目もさりながら、
白梅の香りを枕元にして殿は日増しに快癒し、
以降、梅の季節となれば、
於市様を思い出すような口振りであるのでございます」

 信長は思わず前に出た。
 大名家の姫が家臣に物を、
それも使者を遣り、花を贈るなど儀礼を逸しており、
見舞いが口実とはいえ、
前代未聞にも思われ、信長には極めて大きな驚きだった。

 正室、側室、数多抱える儂でさえ、
花など貰ったことなどないぞ、
それをこの権六が!……

 「何時なのだ、それは」

 「御輿入れされる直前あたりであったかと」

 「浅井にか!」

 「はっ!」

 「権六の返礼は!」

 「手紙(ふみ)も品もございません。
手紙は於市様も御同様で、
ただ見舞いの薬と梅を。
 殿は私を遣いに出して、
丁重に御礼の口上をさせたばかりにて、
恥じることなき淡交そのものにございます」

 「権六!見舞いの品を受ける前、
市と口をきいたことがあったのか」

 
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