第356話 宴の土産(1)白熊

文字数 1,399文字

 宴の後。
 万見邸、重勝の居室。
 部屋の床は白熊の毛皮が広がっている。

 仙千代、銀吾、祥吉、重勝の四人で力を合わせ、
ようよう運び、置いた。

 「大きいは大きいでも上様の広間では
ここまで大きく見えませなんだが、
こちらでは巨大にも思われます」

 と銀吾。
 祥吉も、

 「しかも重うございました。
白熊なるこの熊は、生きて動いておる様は、
さぞや恐ろしきものなのでございましょうね」

 と額の汗を拭いつつ言った。

 仙千代と重勝は半ば呆然と毛皮を見下ろしている。

 ……(さかのぼ)ること(およ)そ一刻。

 信長の裁可一言、万事決まった。

 「田鶴なる娘、まこと大したもの。
 感心である。
左様な者を野に置いてはならぬ。
 近藤源吾重勝の嫁として迎えるが良い。
 近藤家、伊藤家はこの婚姻をもって結び付き、
縁は堀家にも繋がった。
 田鶴の親、堀家、両家共々、元は道三公の家来衆。
 浄土にて我が舅殿も喜んで下さるであろう」

 信長が決めたなら反意を表することは不可能だった。
 が、秀政は、

 「恐悦の極みにて感謝の言葉もありませぬ。
なれど田鶴は利き手を失い、」

 と平伏を崩さぬながら声をあげた。
 仙千代、銀吾、祥吉は頭を伏せたままだった。

 「菊!愚弄するか!
 事情は(しか)と聞き及んでおる!
 その上で源吾に似合いだと言っておる!」

 「ははっ!」

 秀政に倣い、
仙千代らもますます頭を擦り付けた。

 「万見!不服はないであろう!」

 と言う信長に仙千代は汗を滲ませた。
 彦七郎も彦八郎も市江家の縁戚から嫁を娶って、
仙千代を煩わせることはなかった。
 家臣の縁談話は仙千代にとり重勝が初めてだった。

 「ございませぬ!」

 としか言いようがなく内心は、

 (きゅう)様が敢えて美醜を口にして、
身体には嫁に出すに憚られる痕があるという……
 人の本性は心であると分かっていても、
そこまで言われたなら
怯心(びょうしん)が湧かぬと言えば噓になる……

 信長の大声が鳴った。

 「源吾を呼べ!」

 信忠、長頼、秀一、そして万見兄弟は黙し、
秀吉が賑々しく振る舞って場を朗らかに繋いだ。

 やがて拝謁した重勝は始終を聴き終え、
空は青く、雲は白いとでもいうように、
如何にも自然に受け容れて深謝を示した。

 ひとつの質しもせぬその態度を気に入り、
信長が今宵の記念にと気前よく与えたのが白熊なのだった。

 ……「頬を当てるとふわふわで、
まるで羽根のようでございます!」

 「撫でればほんに温かい!
わあ、(ぬく)い温い!」

 銀吾、祥吉が白熊に触れ、撫で、興奮している。
 信長の御前では礼儀を弁え役目を果たしていた二人が
実は好奇心でいっぱいであったと知れる。
 幼くして養子に出、
実の親兄弟と離れて暮らしはしたものの、
二人が童心を残しているのは事実で実際、
白熊といえば蝦夷地の尚も北方の獣であるとかで、
そのような熊の皮はいったいどれほど貴重にして
希少なのかということだった。
 
 それでも大人二人は、
熊の珍しさは横へ置き、ぼうっとしていた。

 「殿、儂はこの毛皮、
如何すれば良いのでしょう」

 「う、うむ……大きい。
まさに巨大。源吾の寝る隙もない」

 珍宝の拝領は有り難かった。
 が、一陪臣である重勝の暮らしでは
有り難さを通り越し、持て余す一品でもあった。
 と同時、頭には婚姻の件があり、
信長の側近として縁組を断ることはできぬとしても、
養女先の伊藤家の田鶴を嫁には出さぬ、
いや、出されぬという娘の実の姿に、
不安がなくせぬ仙千代なのだった。



 
 
 


 

 

 


 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み