第175話 蹴鞠の会(13)長秀の名誉⑦

文字数 790文字

 仙千代は、
信長が食後に飲んでいた白湯の器を下げるふりをして、
部屋を下がった。
 退室を命じられたわけでなく、
誰もそのような気を発していなかったが、
長い歳月を共に過ごした信長、長秀、信定で、
若輩の自分が居合わせるのはそぐわないと
仙千代の感性が判断していた。

 とはいえ、
人払いされたのではないのだから、
いつまでも戻らないでいることは却っておかしく、
仙千代は三人分の茶を用意して、
ふたたび座所に向かった。

 「……確かに佐久間は無官で、
柴田の修理大夫(すりだいぶ)も自称だ」

 信長のよく通る声が襖の外まで響いた。

 「年嵩の二人を差し置いて、
若輩の自分がという五郎左の思いは、
まあ、分からぬではない。
が、佐久間には家中最大の軍団を与えてある。
柴田は柴田で自称とはいえ、
長年のことで誰にも修理で通っておる上、
上手いことに修理は、
今後平定に向かう九州の武家が好む称号。
また両名には、
本願寺降参が成れば褒賞を考えてある故、
五郎左が悩むことは何もない」

 かつて信長の直臣として御弓衆に属し、
やがて長秀に付けられて畿内の政務に携わる信定は、

 「一武将として黙々と忠勤に励むことこそが
報恩の道であるとする慎ましい御人柄こそ、
まさに上様の御信頼を呼ぶもの。
なれど過ぎたる遠慮は、
礼を逸することになりませぬか」

 「又助が申す通り。
授かった名にふさわしい働きをすれば済むこと。
長話は飽きる。打ち切るぞ」

 すると長秀が、
幾らか声を強めて言った。

 「伊勢にて調略を駆使し、大船団を率い、
怨敵、長島一向一揆軍の成敗に寄与した滝川一益殿。
長島及び北伊勢五郡を治める大大名、
滝川殿の名がありませぬ」

 「おや、そうであったな」

 何を思うのか、
信長の小鼻こそ一瞬膨らんで、
思ったままに事が運んでいるという横顔が
襖の隙に垣間見えた。

 「仙千代、いつまで待たせる。
茶を持ってまいれ。早う」

 入室の機会をはかりかねていた仙千代に声が掛かった。
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