第142話 三つの城(11)坂本城⑩

文字数 1,080文字

 期待と信頼を寄せていた長政の裏切りは、
確かに信長の激怒を()んだ。
 秀吉は信長の激情を受け取ると、
主の怒りの炎に油を注ぎ、
長政の忘恩ぶりを折に触れては口の端に上げ、
信長に義弟の背信を忘れさせまいとした。

 滅亡した浅井家の領地を与えられて大名となり、
いっそうの勇躍を果たした秀吉は、
今浜に城を築いた。
 街は主君への敬愛と感謝の印だとして、
秀吉たっての希望で信長から一文字賜り、
新たに長浜と名付けられた。

 光秀を悪し様に罵った秀吉であるだけに、
小谷城攻めの一部始終を知るにつけ、
その口が言う忠節、
大恩に報いる本道とは如何なるものかと、
仙千代は答を見出すことに難儀を要した。
 ただ、ひたすらに才気が横溢(おういつ)し、
才気は鮮やかに過ぎるとも映る野心を()んで、
光秀と秀吉は、
何処か合わせ鏡のようだと、
青い仙千代にもそれだけは理解がいった。
 
 戦国に生きる武将にとって、
領地は切取り次第で、
手に入れるには武功をあげるしかない。
 急激に覇権を拡大した織田家に於いて尚、
瞠目すべき速さで地位を獲得し、
果ては一国の主にまでなったのは光秀、秀吉という、
他の武将に比べ、
家柄も軌跡も今ひとつ明瞭に乏しい異色の双璧だった。

 信長のもとでは才覚と力さえあれば、
如何なる者にも栄華の道が拓けていると、
秀吉、光秀の存在は、
世にはっきりと知らしめしていた。

 上様は、明智殿、羽柴殿、
お二人が面白くて仕方ないのだ、
織田軍総出の長島征圧戦でも、
ご両人は上様の命により、
それぞれ畿内、北陸に張り付いて、
単独の軍事行動をとっておられた……
 上様がお二人を稀なる実力者であると
お認めになっておられる証左……

 主の意を己の意として仕えるが近侍の心得であるとして、
二年前の仙千代は、
信長の意志に自身の思いを寄せた。

 ……相国寺の寝所で、
信長が仙千代の背に手を当て、時に(さす)りつつ、
褥で向かい合いになり、
二人は語らっていた。

 信長は佐和山城を早舟で発った。
 小姓五、六名のみを連れての旅程に
長秀が珍しい反発を見せた、
憂慮を示したと信長は言った。

 「……なれば坂本からこの相国寺までも、
上様はもしや、小姓衆のみと……」

 「無論だ。
京には所司代、村井がおる。
京に接した坂本は明智が強く固めておる。
何だ、仙まで五郎左の真似か」

 五郎左とは長秀の通名だった。

 冷えた風がさっと心に吹いた仙千代は、

 「丹羽様の憂い、
私も共にするところでございます」

 と信長の肩の向こうに薄闇を見詰め、呟いた。

 「ふむ、苦労性が居ったか、ここにも。
慎重居士も度を越せば怯心(きょうしん)なるぞ」

 信長は呆れ口調を装って、
穏やかな物言いをした。

 

 

 

 


 
 

 

 

 
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