第250話 勝家の一門(1)後継と小姓

文字数 824文字

 柴田勝家には二人の男子が居り、
共に庶子だった。
 他にも男子が四人、女児も居て、
子沢山に見受けられはするものの
庶子二人以外は全員、
縁戚からの養子、養女という者達だった。

 勝家の長男、二男は母の出自が低いので、
次期当主は妹の子である於国丸が継ぐとされ、
七歳という幼さながら、
他の子とは別格に遇されていた。

 今回、勝家への発令書で、
元服前の小姓を寵愛すること、
つまり男色を禁じているのは、
勝家が正室を持たず、側室も居らず、
閨閥の弱さを信長が懸念したことが理由にあった。

 勝家が越前八郡を授かって、
三十万石という大身の大名となったからには、
妻を娶り、子を成して、
家を盤石に繁栄させていく責務があるはずだった。

 しかるに勝家は以前から妻帯の意志がなく映り、
壮年どころか、
初老と言って良い年代に差し掛かっていた。

 北庄(きたのしょう)の信長の座所で、
秀政により発令書を読み上げられた勝家は、
膝行で進み出ると恭しく書状を頂いた。

 勝家には小姓頭の毛受(めんじゅ)庄助勝照が持しており、
厳しい面持ちを崩さず、
全身で信長の訓戒を受けていた。
 
 勝照は長島一向一揆征圧戦で乱戦の中、
勝家軍が馬印を奪われるという失態を晒した時、
恥辱であるとして勝家が自刃しようとしたのを諫めて止めると、
敵陣に突入し、
馬印を奪還すると勝家に送り、
再び敵に向かっていったという、
無双の忠義者にして、武勇の士だった。
 その心と才を見抜いていた勝家は、
若くして一万石を与えた上、
長島での活躍により一段の信頼を寄せ、
後には二男を預けて養い親に据えていた。

 仙千代は信長の近侍として上席に座しつつも、
下座の勝照を眩く見ていた。
 「鬼柴田」など、幾つも異名を持つ猛将、
勝家の家来の中でも勝照の忠節と武功は抜きん出て、
対して己は戦目付の経験こそあれ、
それも未だ岩村攻めの一度きりであり、
実戦での功は皆無であって、
一つ年嵩であるだけの勝照と比較し、
何も形を残していないと思えば、
勝照は仙千代の眼に輝いていた。
 

 


 

 

 


 
 

 

 

 

 
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