第3話 制勝の朝(3)三郎義光

文字数 1,400文字

 顔面の裂傷のみならず、
落ち掛かっている左の二本の指は耐え難い痛みであろうに、
意を決し、話し始めた番頭(ばんがしら)は、
声こそ掠れ(かすれ)がちであるものの、
一気呵成に語った。

 番頭は歴戦の士だけはあり、
武田家の成り立ち、儀式に通じていた。

 武田家は、
八百年前の清和天皇から数えて四代目、
満仲の三男、
頼信を祖とする河内源氏の流れで、
頼信の子、頼義には三人の子があり、
その嫡男が、
武門の鑑といわれた八幡太郎義家であり、
この子孫が、
鎌倉幕府を開いた源頼朝だということだった。

 一方、幕府成立に先んじて、
源頼義を父に持つ武田家の祖、
新羅(しんら)三郎義光は、
東国(とうごく)源氏を武門の家として確立した。
 
 頼義が後冷泉天皇から、安倍貞任(さだとう)
宗任(むねとう)討伐を命じられた時に下賜された絹地の日の丸は、
その子、
三郎義光に相伝されたことにより、
武田家の家宝となった。
 武田家は数ある源氏の子孫の中で、
他家と一線を画す、
貴種の象徴たる武家であり、
源氏の頂点としての栄誉と誇りは失われることなく、
連綿と今に至るというのだった。

 仙千代や竹丸と同じ信長の近侍といえども、
元服も済ませていない二人と違い、
三十路が近く、
(つま)も子も居る長頼は泰然として、
大名諸将が居並ぶ前で他を差し置いて物を言っても嫌味とならず、
ごく自然と信長の代理者たり得る風格だった。

 長頼があっさり(まと)めた。

 「拝領の旗と先祖の鎧は、
源氏を名乗るどの家にも存在せず、
武田家は(まつりごと)も他国との関りも、
武家の棟梁であるという誇りが、
営為の根底となっていた……
と、左様なことか」

 長頼が話を殊更()しやすくしたので、
信長が口の端に笑みを浮かべたようだった。

 片や番頭は不服を隠さなかった。

 「御旗、楯無(たてなし)の鎧は、
甲斐源氏の御始祖以来、家宝として相伝され、
五百年間変わらず、
拝み、奉るものにて、
戦の前にはその御前で(くじ)を引き、
神言を聴くこともあり、
梵天、帝釈、四大天王、
惣じて日本国中の大小神祇、
更には八幡大菩薩、冨士浅間大菩薩、
熊野三所大権現、諏方上下大明神、
甲州一二三大明神と比べても格別尊く、
単なる御旗、家宝ではござらぬ」

 信長が今度は切った。

 「亡き天正玄公(てんしょうげんこう)もさぞ、御悦びであろうよ、
御旗と楯無に当主が誓えば烈臣すら黙し、
水盃で今生に別れを告げ、
戦に身を投じる。何という忠義か」

 「御旗、楯無を軽んずれば、
今生において不治の病を()け、
当来は、
無間地獄に堕ち致すべきものなり!」

 容色にチラとでも苛立ちが浮かぼうものなら、
同盟者であり、
互いが舅の家康でさえ、
それこそ顔色を変え、
信長の懐柔に乗り出すものを、
番頭は信長はじめ全員に傲然と面を上げ、

 「源氏には宗家に代々伝えられた、
源氏八領といわれる重宝(じょうほう)の鎧が八領ござった。
唯一現存するものが甲斐の楯無の鎧。
我ら甲斐の武士は、
御旗、楯無に恥ずる行いは……」

 声を張り上げた番頭は、
言葉にならなくなった。
 両膝を水滴が濡らした。
 指を失う痛みにも平然と耐え見せる武士が、
歯を食いしばり、落涙する。

 戦場を知っている仙千代ながら、
真の意味での兵刃の交わりの経験は(すく)なく、
番頭の大粒の涙は、
矜持、憤怒、悲哀、どれなのだろう、
または己のような若輩が知る由もない、
他の感情に衝き動かされたものなのかと巡らせ、
それでいて、
答を出すことが出来ないでいた。

 場が一瞬、静まった。
 ただ、信長から()けて、
陣城の材木を運び出している百姓達の活気ある掛け声や、
ノミや槌の音が響くばかりだった。

 

 
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