第109話 相国寺(1)将軍の子①

文字数 782文字

 相国寺は室町幕府第三代将軍 足利義満が
花の御所に隣接して建立した、
極めて格式の高い禅寺だった。
 相国寺の山外塔頭(さんがいたっちゅう)である鹿苑寺こと金閣寺、
慈照寺こと銀閣寺は世に名高い名刹で、
以前、仙千代は、
市江兄弟らと誘い合わせ、観に行ったものだった。

 本寺である相国寺は火災や戦乱で、
悲運にも過去四度全焼していて、
信長が上洛中の宿所としている過程で、
大規模修復が為されている最中だった。
 寺は、開基の足利義満が唐で「相国」と呼ばれる職である
左大臣に任じられたことから名付けられた由縁があって、
現在、平氏を名乗っている信長は、
源氏の足利義昭が未だ形式上は将軍である為、
相国寺を宿とすることで、
威勢を誇示すると共に、
源氏に対しての平氏という対立軸を利用して、
現権力の正当性を知らしめる狙いがあった。

 朝まだき、大和を発った仙千代は、
相国寺に到着すると信長の到着を待ちつつ、
三郎への手紙(ふみ)に柿の茶葉の件と共に、
大和での諸情勢と見聞を記した。

 足利義昭……
上様憎しの一念でのみ、
生きているかのように映らぬでもない前将軍……
西国(さいごく)へ流れ、
毛利の支援を受け、暮らしているという……

 二年前、何度かの和睦の後、
義昭は挙兵して真木島で織田軍と戦った。
 義昭自ら戦に身を投じ、
果ては降参して、
そこで武将の最後にふさわしく腹を切らせても良かったものを、
信長は義昭の忘恩は後世の人々の評価に委ねれば良いとして、
義昭を助命の上、赤子の長男は仏門へ送った。
 義昭は正室を持っていないので、
子は嫡子でないのものの、
血筋としては将軍の後継ということだった。
 その男児は義尊といって、
義昭がかつて高僧として暮らした興福寺に身を寄せている。

 仙千代は興福寺において、
今回、義尊に面会していた。
 これは仙千代が独自に望んだことで、
織田家側の使者が仏門に入った後の義尊と会ったのは、
仙千代が初めてだった。

 
 
 

 


 

 

 

 
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