第90話 岐阜城 万見邸(5)陽光④

文字数 1,004文字

 「岩村へ遣ってしまい、後悔した。
約十日。長かった。
面白うなかった。仙が居ぬのは」

 肩を抱く信長の手に力がこもった。

 「近々急遽、上洛することになった。
仙も京を起点に大和へ行けば良い」

 仙千代は、

 「大和守護殿と既に連絡を取り合っております。
明日にも発とうと思っております」

 「またも留守にすると申すか。
上洛後でも間に合わぬではないぞ、
(ばん)は多聞山城の改修で、
当面、大和を離れられぬ」

 信長の庶長子を産んだ女人の実兄である塙直政は、
蘭奢待(らんじゃたい)切取の際には奉行を務め、
大和二国の守護を任じられるなど、
堅実な働きぶりで信長の信を得ていた。
 直政の甥にあたる信長の子は、
信忠より三年早く生まれているが、
当時の家中の事情や家柄により、
昨今、京都所司代に任ぜられた村井貞勝のもとへ、
幼いうちに養子に出された。
 直政は後室に柴田勝家の養女を迎え、
閨閥を着実に形成し、
武功も十分で、
織田家臣団に於いて宿老に並ぶ勢力を持していた。

 信長の尾張統一以前から忠節を尽くす、
直政のような武人に対し、
書状のやり取りまでした挙句、
行くと言った日に行かずにいるのは、
どう考えようとも無礼であって、

 「共に働かせていただく始めから、
さしたる理由も無しに参ると伝えた日に参らぬでは、
迷惑をお掛けする上、
ひいては軽んじられまする。
明日、是非にも出立致す所存でございます」

 信長の顔色に、
幾らか不機嫌の影が落ちたのを仙千代は見た。

 しかし気にせず、

 「本日中に御確認いただきたい朱印がございます。
後ほど、御殿にあらためて参上つかまつります」

 と結んだ。

 信長は強引な口吸いをした。

 「……んん!苦しゅうございます」

 「明朝は儂の寝所から発て」

 「道中、睡魔に襲われ、落馬してしまいます」

 これを言った途端、信長が笑った。
 仙千代も口走った意を再考し、
顔が赤くなった。
 
 「眠らずにおるつもりなのだな、今宵」

 「左様なことは。左様な意味では、」

 勢いよく立ち上がった信長は、
座したままの仙千代を見下ろして、

 「安心せよ。
翌日に響くようなことはせぬ。
だが、来るのを忘れるでないぞ。
どうも仙千代は我儘気儘が未だに消えぬ」

 と言い残し、去った。

 翌朝、信長が就寝中にそっと起き、
仙千代は大和へ発った。
 翌日に響くようなことはしないと言った信長だったが、
房事だけでなく、
久方ぶりの二人の夜で話が途切れず、
時に眠気をおぼえないではない仙千代だった。



 

 
 
 


 


 




 
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