第219話 北陸平定戦(11)青と赤の炎⑤

文字数 703文字

 昨年、天正二年の正月、
信長は朝倉義景、
浅井久政、長政の髑髏(どくろ)を古代唐土(もろこし)の故事に倣い、
箔濃(はくだみ)にし、
風雨の夜の朝倉攻めで行動を一にした若い家来達を(ねぎら)って、
小さな宴を開いた。

 恭しく箔濃を運んだ竹丸、仙千代の口上により、
箔濃は死した敵将に敬意を表し、
その武力を自らに取り込むという(いにしえ)の風習であると
由縁を披露されると若武者達はたいそう喜び、
謡い踊って、(うぐいす)飲みの遊興に沸いた。

 金粉、漆で豪華に塗り込め、
美辞麗句で飾られようと髑髏は髑髏、
云わば晒頭(しゃれこうべ)(さら)され物だ、
常在戦場の足元に
死の淵が口を開けていようとも、
儂はあのように成らぬ、
織田家の男はあのようには成らぬ……

 長頼が、

 「一乗谷、百有余年の栄華は、
上様の軍門に下ることを良しとせず、
空しく瓦解と相成り、
未だ南蛮や唐土の器の破片が夥しく出土するらしく、
村の子らが掘っては宝や玩具にしておるそうで、
朝倉家の財力にあらためて驚嘆致す次第」

 主が敗走し、
姿を消した一乗谷に攻め入って火を放ち、
焦土としたのは二年前の織田軍だった。

 「義景の義は先代将軍 義輝公の偏諱(へんき)を受けたもの。
朝倉義景、
左様に金満であったなら、
公の跡目を継いだ義昭が上洛を望んだ際、
何故、動かなかった。
金の使いどころを間違えておる。
風流、華美を武門の前、いや上に置くとは。
武士たる者の第一義を忘れたことが滅びのもとだ。
哀れ、朝倉」

 一瞬とはいえ、
憐憫、寂寥に浸っておられるのも、
自軍の快進撃が止まらぬからで、
微かにも影が落ちているなら
このような話が交わされる余地はない。
 一向宗が凄まじい熱を持つ北陸で、
目下、織田軍が向かう加賀は特段その力が強く、
街を形作ったのは門徒衆だといっても過言ではなかった。


 
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