第53話 岐阜城 古狸(4)

文字数 858文字

 「(えにし)の深い伯父君より名を授かりたいという願い、
聞かずにはおれまい。
儂が武功をあげておったなら、
名を与えてもやれようが、
まだ今はその身にあらず心苦しく思う」

 「何を何を。有り難き御言葉。
その御言葉だけで幸せでございます」

 信忠自身、既に父の背に並んでいた。
三郎もまた、信忠に似た背丈となっている。
 いつまでも愛童として
置いておくわけにはいかないことではあった。

 「左様な話であれば一日も早く帰省し、
伯父君より偏諱(へんき)を授かるが良い。
家では支度が済んでおるのであろう?
明日でも構わぬぞ」

 「明日でございますか」

 「そうだ、明日だ」

 「されば、若殿との夜は今宵が最後となりまする」

 「今までよく務めてくれた。礼を言うぞ」

 信忠が(ねぎら)っているものを、
自分から元服を言い出したくせ、
三郎は眉根を寄せ、唇を噛んだ。

 「何が不服か。何だ、その顔は」

 「少しは惜しんでくださっても良いのでは。
何やら厄介払いのような」

 「馬鹿者。
厄介な奴と四年も過ごすはずもない」

 「まことでございますか」

 「当たり前だ。
これからも側に居るのだ、儂の傍にずっと」

 「はい!」

 三郎の瞳が潤むのが薄暗がりの閨房でも伝わった。

 「おかしな奴め。何故に泣く」

 「何故でしょう。涙が勝手に湧くのです」

 「子狸の涙は可愛いが、古狸ではな」

 「若殿、口が悪うございます!」

 「憎たらしい口を塞ぐか?」

 三郎が信忠の唇を奪い、褥に倒した。

 相変わらずの、

 「若殿!若殿!若殿……」

 という四年間ついに変わらなかった、
「若殿」一辺倒の三郎の喘ぎを聴きながら、
もう二人は肌を合わせることはないのだと、
瓢箪から駒のような話で褥に引き入れた
三郎との懐かしい経緯(いきさつ)を信忠は思い出していた。

 翌朝、信忠は、
出立前の三郎に元服の祝儀として、
絹の反物と金子(きんす)を下賜した。
 過分であると三郎は恐縮しつつも受け取って、
晴れやかに家路についた。
 
 何年も帰っていなかったのだから
数日の(いとま)を許したが、
おそらく夜には戻るだろうと信忠は思い、
やはりその通り三郎は、
日が沈む頃には帰城していた。

 






 


 

 
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