第319話 叔母と甥(2)鮮血の涙

文字数 600文字

 激しい感情に息を荒げた信長は、
仙千代が初めて見る信長だった。
 強烈な怒り、深い悲しみ、尽きぬ嘆きが相混ざり、
溶け合うと、ふと虚空となって、
信長は太刀を収めた。

 仙千代は震えが止まらず、
於艶の絶え絶えの身を抱きつつ、
最期の息を耳元に聴いていた。
 秀政は蒼白となり、力が抜けて、
於艶を支えているのは今や、仙千代一人となっていた。

 於艶、仙千代、秀政を一瞥し、
信長は去った。
 その背を見送りつつ、
瀕死の於艶に二人は寄り添い、
仙千代は言葉を失い、ただ必死に姫を抱いていた。
 
 秀政は、

 「申し訳ございませぬ!申し訳ございませぬ!」

 と繰り返してはとめどなく涙を流した。
 華やかな自信に満ちて、
爽快を絵にしたような秀政はここには居らず、
その秀政も仙千代が見る初めての秀政だった。

 何人(なんびと)も三人に近付くことはできず、
遠巻きに立ち尽くし、
於艶が息絶えるのを誰もが待った。

 薄っすら瞼を開いた於艶は、

 「もう……もう……
楽にしておくれ……」

 と伊吹おろしの風に微かな声を乗せた。

 仙千代は曇って見えぬ視界で於艶を押さえた。
 末期の言葉が終わるか終わらぬかの刹那、
号泣にも等しい様の秀政の短刀が、
於艶の心の臓を刺した。
 
 主君の叔母にして、敵将の(つま)
 そして、若き日の秀政の憧憬の女人(ひと)であったのか。
 秀政の涙は果てない悲嘆に満ちていた。
 信長、於艶、秀政の苦しみに、
仙千代は於艶を赤児のように抱き、
啼泣していた。


 
 


 
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