第419話 長益好み

文字数 819文字

 九十郎を気遣った仙千代が何をか言わんとした時、
聞き付けた若き叔父、長益が、

 「九十郎殿。お初でござるな」

 とにこやかに割って入り、
九十郎が名乗りをすると長益も応じ、

 「小さな御客人。この出逢いもまた奇遇。
殿、九十郎殿にも一服振舞われては如何でしょう」

 と信忠に向いた。

 足軽に混じっての奮戦をも厭わぬ(たち)の信長の弟でありながら、
長益は信忠から見てさえ武人としての才気は薄く思われた。
 虚弱であったのか、聞けば、初陣、二十一歳。
 美濃攻略戦、森部の戦い。
 補佐についた佐々成政が武才に乏しい長益の警護に追われ、
佐々隊が十分な武功をあげられず信長の機嫌を損ねたという逸話に加え、
成政が戦績を捨ててまで護った長益ながら、
合戦後、清洲城への帰路、当の長益は落馬し、骨折。
 以降、信長は長益を兵站、使者、小姓の教育に就かせ、
戦の前線で働かせることは殆どなかった。
 幼少期、長益は信長の傳役(もり)、平手政秀を敬慕して懐き、
屋敷へ入り浸っては学問のみならず数寄の道も倣い、
やがて政秀が自害した後はその娘を正室として今に至り、
亡き舅が遺した「政秀好み」とも形容される茶器の数々も受け継いで、
茶の湯を通し、年若い信忠の外交を助け、担った。

 「九十郎が気に入りましたか」

 と信忠もにこやかに応じた。

 「厳寒の朝、滝見物とは風流の種を宿しておられる。
幼き身ながら列席も妥当でございましょう」

 信忠の許可を得て九十郎も加わった。
 織田家当主となった信忠の道具は名品揃いではあった。
 そこに長益は自作の器を持ち込んで、
堅苦しくも寂しくなりがちな別れの茶席に面白味を足し、
同時ややもすれば戦、(まつりごと)という生臭い話題に向きがちな顔触れに、
あくまで茶事なのだという清風を吹かせた。

 長益の助言により信忠は九十郎には薄めに点てた。
それでも飲めば思わず苦いという顏をして、
九十郎の所作一つ一つがあどけなくも愛らしく、
誰の頬をも緩ませた。

 ふと気付くと仙千代が信忠をじっと見ていた。

 

 
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