第303話 再会(2)虎繁②

文字数 1,198文字

 八年ぶり、いや九年ぶりの邂逅か、
信忠、虎繁は、礼に則った挨拶を交わし、
信忠は上座から虎繁を見据えた。

 かねてより虎繁は伯耆守(ほうきのかみ)を自称しており、
信長、信忠共に往時、
虎繁をその名で呼んでいたことから、
今も信忠はかつてと同様にした。

 「伯耆守殿。足りぬものはござらぬか」

 奇妙奇怪なことではあった。
信忠は虎繁の死を決めている。
虎繁も信忠の「赦免」に一切の保証がないことは
百も千も承知している。
 何が要るかと問われれば究極は、
永遠に失った勝利、これより他に無いはずだった。

 「僅かな水と板敷一枚ありますれば、
今のこの身には有り余る慈悲と存じております」

 皴枯れ声ながら、
ついて出る言質は矜持に満ちて(いささ)かの揺らぎも無く、
確かに虎繁だった。
栄えある甲斐源氏の名族の末裔にして、
武と教養の才をもってして武田家三代に重用され、
今回、撤退の憂目となったとはいえ、
勝頼が農民までもかり集め、救わんとした名臣。
それが虎繫だった。

 御坊丸は、そして、松姫は、
如何過ごしているのかと喉元までこみ上げた。
 信忠はそれを押し込み、

 「細かな沙汰は岐阜へ到着次第、
上様がお決めになられる。
 若気の至りの浅墓か、
家来が六大夫を連れ、
行方知れずであるのはけしからぬ。
かといってその忠義、
同じ武士として分からぬではない。
戦には敗者と勝者が居り、
何も伯耆守殿や岩村殿が憎いのでもない。
六大夫もまた然り。
父上の五男たる御坊丸の御は数字の五。
御坊に因み、
六大夫と名付けられた岩村殿の御気持ちは、
察して余りある。
六大夫の居所に心当たりがあるのなら、
言うべきは今。
さすれば岐阜へ同道が叶うのだぞ」

 見付かれば六大夫は、
命を永らえられないと信忠は知っている。
 虎繁もそれは覚悟の内に決まっていて、
父子がよもや命がないのなら、
今一度、顔を見、頬を撫で、
声をかけてやりたいのが親心というものだろうに、
虎繫は唇を噛み、肩さえ落として、
行き先は杳として推測できぬと答えるのだった。

 「で、あるか」

 もう交わす言葉はなく、信忠は立った。
 そこへ虎繁が信忠の背に、

 「この秋山虎繫、
許されるならここで腹を割き、
我が命と引き換えに残った城兵を助命して頂きたく、
願い奉りまする!」

 と必死の嘆願を飛ばした。

 信忠は振り返り、

 「城兵のほぼ全員、城を枕に既に討死しておる。
この後、審判は上様が下される。
岩村殿は織田家の姫ゆえ寛大な御沙汰があろう。
二度の謀反を企てた弟の子を家臣に預けて養育させ、
重用しておられる上様だ、
六大夫の行く末も案じるには及ばぬ。
 伯耆守殿は武田の臣下として役目を全うしたまで。
上様にその勇名は確と伝わっておる」

 言語明瞭、意味不明の曖昧模糊の返答に、
信忠は腹に石を詰め込んだようだった。

 六大夫……

 尾張統一を果たす過程で多くの親族と戦った父の苦悩を、
自分も味わう宿命なのだと信忠は二歳に満たぬ男児の名を胸に呼び、
乾いた口中に唾を飲んだ。


 
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