第54話 正五位下

文字数 731文字

 天正三年 水無月の初日を以て、
信忠は正五位下に昇進した。

 武家が官位を得る目的は権威付けだけでなく、
領国支配の正当性や、
戦の大義名分として利用する為だった。
 
 信忠はこの春に、
鎌倉以後、武家にとって特別な誉れとされる役職、
出羽城介(でわじょうのすけ)の地位を得て、
今回、加えて正五位下に列せられた。
 信忠の今後の総大将戦に箔と弾みをつける目的で、
信長が朝廷に猟官活動をして、得た位だった。

 父はじめ、誰にも口々に祝われながらも、
信忠の胸中は岩村城攻めに向いていて、
浮つくことは無かった。
 功績をあげた上での昇進ではなく、
位に恥じぬ働きをせよという意味だと肝に銘じ、
兜の緒を今一度、締め直す心境だった。

 ただ、皮肉に思うのは、
源氏の名門、
武田氏の事実上の跡目となっている四郎勝頼が、
無位無官であることだった。

 若年時代の信長は上総介(かずさのすけ)を自称していた。
足利義昭を奉じて上洛を果たした後は、
長年の実効権力不在による京の荒廃を建て直し、
朝廷に近付いて、
自身も官位を上げ、今は参議となっている。
 だが信長は、
位階に対する関心を失っているようだった。
 それでも褒賞としての価値、
戦争遂行、治世の道具としては有用にして、
欠かすべからずものとして捉えていると信忠は父を見ていた。

 木曽川の(ほとり)の出身である三郎は、
地名に因み、(かばね)尾関(おぜき)といった。
 病床に臥しているという一族の長老が烏帽子親(えぼしおや)となり、
授けた(いみな)は、賀義(よりよし)といい、
月代(さかやき)も爽やかに茶筅(ちゃせん)に結った(もとどり)が、
三郎の凛々しい容姿を引き立てていた。
 元服の際、通名も変える者が少なくないが三郎は、
呼ばれ慣れていると言い、通名はそのままだった。

 信忠の心境を察するように三郎が、

 「武田勝頼は無官なのですね」

 と、書状整理をする合間に呟いた。


 
 
 

 

 

 
 


 

 




 

 


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み