第365話 話題の主

文字数 1,361文字

 長谷川家は竹丸こと秀一の叔父、橋介が、
信長が十代の頃より小姓を務め、
桶狭間合戦の際は
信長の五名の親衛隊の一員として熱田へ向かい、
死に戦を共に戦った。
 武田信玄が圧勝した三方ヶ原の戦いで
徳川勢に身を置いていた橋介は討死し、
信長は悲しみを隠さなかった。
 秀一の父、与次は、
尾張国 木曾川畔 北方(きたがた)を本領として、
岐阜と清須を繋ぐ街道口の要衝に館があった。
 手堅い戦働きと風流に対する知識から信長の交誼は厚く、
丹波守(たんばのかみ)の名を拝領し、
信忠の元服後はその与力となって
尾張衆の重要な一員となっている。
 飯尾家は織田家の連枝衆、
長谷川家は譜代の家臣ということで、
両家は知行が近い為もあり元来行き来があった。
 それでも北島城奥御殿に住まう姫と
岐阜勤めの小姓が接点を持つことはなく、
(たま)さか一度、
何らかの拍子に見掛けた秀一が姫の印象に強く残って、
この縁談に結び付いたという事情なのだった。

 市江彦七郎が顔を真っ赤にしていた。

 「竹が!あの竹が(はる)姫様を!
鯏浦(うぐいうら)の万見家へ長逗留した夏、
我らが裸で泳いでおるのを見咎めて、
やれ、クラゲに刺されるだの、
蟹に挟まれるやもしれぬだの言い、
下手をすれば着物さえ脱がず海へ入ろうとして、
断固、下帯を脱がず泳いでおった、あの長谷川竹。
 ついに上様の甥御様とは」

 彦八郎も満面笑顔で、

 「兄上、そこまで仰らずとも。
だがしかし、二年前の正月、
一滴残しの宴会で負けて泥酔し、
顔を墨だらけにされたあの情けない様が」

 仙千代も加わった。

 「それもこれも竹の一面じゃ。
朴念仁とは言わぬが融通がきかぬというか、
根真面目なのだ。
 ちょっとばかり不器用でもあって、
アケビの種をプッと吹き出すことができず、
無様に吐き出し、あれはほんに笑えた!」

 重勝、銀吾、祥吉もニコニコしている。
 と、そこへ話題の主が姿を見せた。

 「出羽守(でわのかみ)殿、お帰りあそばされた」

 と言いつつも、
いつも怜悧な眼差しの秀一が、
何やら焦点が合わず、ぼうっとしていた。

 「どうした、竹。
ぼんやりとして」

 「いや、それが出羽守殿が妙なことを仰るんじゃ」

 「妙なこと?」

 「竹殿は如何なる着物の色がお好きかだの、
好物は何であるかだの、
何故そうも儂の好みが気になるのか。
 着物は着られれば良し、
好物は酒以外なら何でも美味く頂戴しますと答えたが、
左様なことを出羽守殿は何故お尋ねになられるのやら。
 どうにも落ち着かぬのだ。
もやもやとして霞がかかったような」

 秀一当人を前に若輩の銀吾、祥吉は話題の外へ出て、
慎ましく控え目に笑み、
他は全員がどっと笑った。

 重勝が、

 「竹殿、まだ気付かれませぬのか、
そこまで言われて」

 彦七郎も、

 「やはり朴念仁じゃ。
大した朴念仁じゃ」

 仙千代も彦八郎も腹を抱えて笑い、
つられて銀吾、祥吉も笑いを堪え切れなくなった。

 竹丸は大いに怪訝な顔をし、

 「皆で何を笑うておるのだ!
出羽守殿も儂を見て笑っておられた。
 いったい何が可笑しいのか」

 仙千代は、

 「さあ。はて、何じゃろう。
上様にお尋ね申し上げてはどうか」

 「上様は天守へ戻られたと聞いた」

 「では明日じゃ。
明朝、誰もが知る話になっておろう。
 ただ一人、某竹丸という朴念仁以外はな」

 皆で揶揄(からか)い過ぎ、
秀一は終いには半ば立腹の面持ちで出て行った。

 仙千代達はまたしても笑いが収まらなかった。

 

 
 


 

 

 
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