第42話 父子の朝餉(2)

文字数 891文字

 信忠は信長から岩村城攻めについて、
厳しく攻めよと前にも命を受けていた。
 しかし根切(ねぎり)という言葉は出ていなかった。

 岩村で敵将 秋山虎繫の正室となっている艶は、
信長よりも年下で、
前の岩村城主 遠山景任(かげとう)に嫁す前にも二度、
他家に嫁いでいた。
 戦乱の世に間々あることで、
夫と死別や離縁を重ねた艶は、
岐阜に住まっていた時期があり、
信忠の記憶に薄っすら面影があった。
 
 聞けば、虎繫と艶の間に昨年、
嫡男が生まれ、六大夫と名付けられたという。
 四度の婚姻を経た艶が、
生涯初めて授かった子だった。

 艶は虎繫の(つま)となることを承諾した際、
織田家と決別していたのかもしれなかった。

 無論、岩村や明智は奪還せねばならぬ、
四郎勝頼が赤裸(あかはだか)(てい)で国へ逃げ帰った今、
東美濃を取り返すにこれ以上の好機は無い……
とはいえ、果たして御坊は生きているのか、
長篠の大敗に苦しむ勝頼は家中引き締めの為、
もしや今頃、御坊を見せしめで……

 信忠達兄弟姉妹は多くが母を異にしている。
戦乱で夫を喪い、
連れ子を伴って父の側室になった女御も少なくない。
 また嫡男の乳母は別格であったことから、
信長、信忠は父子揃って乳母が後に父の側室となって、
兄弟姉妹を産んでいた。

 ただ、産みの母が誰であれ、
正式な母親は息子も娘も全員鷺山殿で、
催事や節句には、
皆が揃って父と鷺山殿に挨拶をした。

 そのような時、多くの子の中で、
御坊丸は信忠の比較的傍に居り、
既に読み書きも可能な齢であったことから、
信忠、信雄(のぶかつ)、信孝、御坊丸の四人は、
日頃から行き来があって、
兄として親しみがあった。

 長篠の奥平家は長年、
武田と徳川両家に従属を強いられ、
武田家に人質で出していた嫡男の正室と実弟を
志多羅の合戦前に殺害されていた。
 若き嫡男の正室おふうの方は十六歳、
弟は十三才だった。

 それを御坊がどのような目で見ていたか……

 遠山景任亡き後、
武田派の家臣の圧迫に耐えつつ織田家の姫として
女城主の道を歩み、
援護がないまま籠城の末、武田の将に嫁ぎ、
四度の婚姻にして、
初めて子を授かった大叔母の艶、
思い出に浮かぶ愛くるしい異母弟(おとうと) 御坊丸、
二人を思い、信忠の胸は締め付けられた。


 





 
 


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