第144話 相国寺 寝所(2)抵抗②

文字数 1,217文字

 仙千代が両手をついて頭を下げていようとも、
信長は収まらなかった。

 「五郎左といい、仙といい、
殊更に目を掛けてやった者ほど口やかましく」

 「はっ……」

 信長は身を起こした。

 「機動性を増し新造なった早舟は漕ぎ手を除ければ、
六名、七名の乗り組みが精一杯。
小姓を連れて坂本へ渡り、
あとは馬を飛ばしてここまで一気だ。
小路辻々、何処もかしこも、
儂の息の掛かった公卿公家、武家衆ばかり。
それを何だ。
よもや意見しようというか」

 不興が怒りに近い響きに変わった。
 仙千代とて主の機嫌を損ねるなど、
決して望まぬことだった。
 しかし平伏した視線の先に、
信長の純白の夜着を視とめると、
信長を見送る長秀の心配気な顏が思い浮かび、
黙してはいられず意を決し、言った。

 「亡き足利義輝公は、
守護代にして幕府の名誉職すら務めた
三好家の三人衆から突如攻め込まれ、
二条御所にて横死なさっておられます。
古くは鎌倉の将軍達も幕臣により、
命を落としておられます。
畿内は上様が平定なさったも同然。
されど、人の心は分からぬもの。
義輝公は三好某に諱を授けて間もなく、
その凶刃によって命を奪われました。
京の角々、何処(いずこ)に、
悪心を抱いた不心得者が潜んでいないとも限りませぬ。
万が一に備えるとして、
御小姓五、六名とは余りに手薄、
もはや御供とさえ言えませぬ」

 仙千代は額を床にすりつけた。
 長秀の佐和山から光秀の坂本へ
小姓達と早舟で渡るのは、
百歩、いや千歩譲ってまだ良いとして、
坂本から相国寺までの半日を
信長と小姓達のみで移動したとは、
およそ有ってはならない状況だった。

 一気呵成に思うところを述べ、
仙千代は額に汗を滲ませた。
 信長の本質である強烈な自我が権力拡大につれ、
肥大化し、
もしや信長を危うい目に遭わせる恐れがないとは言えぬ
という危惧は、
若輩に過ぎる己だと分かっていても、
仙千代を黙らせなかった。

 あれほど(さか)しい明智殿なれば、
上様に何故、警護をお付け下さらなかった……
もしくは、
佐和山から坂本に上様の警護隊が到着し、
合流するまで京への出立を
何故お引き留めになられない……

 光秀は最新技術の早舟は流石だと感嘆し、
信長に織田水軍の将来を嘱望したという。

 軍船に感心なさるも良いが、
何故、丹羽様のように
上様の御身に心を配って差し上げぬ……
確かに丹羽様は上様の特別な御寵臣ゆえ、
御心配の余り、上様に物申されたのであろう、
だが、明智殿とて、
墨の一滴さえ私物だと思ってはならぬ、
すべて上様からの賜物だと
触書する程の忠義心ではないか、
ならば何故、上様をお諫め下さらなかった……

 いくら手腕、才覚を買われても、
光秀が信長の臣下となった歳月は浅い。
 長秀ほどの立場でなければ言えぬことも、
確実にありはする。
 しかし、こと、信長の身辺警護に関しては、
家臣となっての日の浅さ、深さは構わず、
諫言するべきだったと仙千代は考え、
光秀の信長への遠慮、
ひいては(おもね)りは、
重臣の取るべき行動として如何かと受け止めた。
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