第271話 祝賀の日々(1)鷹と馬①

文字数 979文字

 越前平定の影響は大きかった。
 信長が岐阜へ帰城して程無く、
待ちかねたように、
各国大名から祝賀の献上品が届けられ、
仙千代ら近侍は品々の振り分け、令状や返礼の送付、
使者の応対に明け暮れた。

 神無月に入って早々は、
奥羽へ取りにやっていた鷹五十羽が到着し、
信長は二十三羽を手元に置いて、
残りを家来衆に分け与えた。
 東北は良い鷹が育つというので発注したものだったが、
美濃とて深山を北に控えた地理を形成していて、
何も鷹が手に入らないではなかった。
 そこには政治的思惑があり、
群雄割拠の奥州でどの家が信長に友好を見せ、
どの家が疎かにするのか、
見極める手立ての一助とする為だった。

 そのような中、
十日に信長は上洛した。
 (はいたか)三羽と奥羽の鷹十四羽を持って行き、
これは狩りを行う支度であると同時、
賓客に贈る用意でもあった。

 京方からの迎えとして、
信長が発った次の日には、
三条公宣、水無瀬兼成が柏原までやって来て、
朝廷の祝意として越前一揆の鎮圧を伝えた。

 その夜は例により、
丹羽長秀の佐和山に宿泊した。
 翌日は陸路を選んで野洲まで足を延ばし、
瀬田大橋を実際に渡って検分した。

 未曽有の規模で架けられた橋は堅牢にして、
美しい欄干を備えており、
信長は出来栄えに(すこぶ)る機嫌を上げて、

 「民の暮らしの便となり、
行き交いが盛んになって、
益々この地は繁栄しよう。 
難工事を達成した山岡、木村ら、
奉行達は当然のこと、
力を出した地元衆も天晴れである」

 信長は橋周辺の村々に金子を与え、
村落で入用な物の購入に充て、
残りを使い、
作事の途中で命を落とした者達の墓を建てよと言った。
 橋の造営を任された山岡景隆、
木村高重は面目を施して恐悦し、
村人達は信長の気前に喝采した。

 信長が京へ向かう道中は、
各地であらゆる貴顕の者達が出迎えて、
敬意を表すことは並々なかった。
 
 京へも火種を移しかねない越前の一向一揆が鎮まって、
残すは加賀ということになり、
先行きが見通せたことは、
朝廷は無論、貴族達に大きな安堵をもたらした。
 絶対権力の不在によって百年もの間、
世は戦火に覆われ、
所領を失った公卿公家は京を逃れて各地へ散って、
日々の暮らしにさえ、事欠いた。
 それを思えば信長であれ、誰であれ、
静謐の世を築き、安寧が約されるなら、
権力の頂上は誰でも良いことであり、
今はそれが信長だということだった。

 
 
 

 
 
 

 

 


 

 

 
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