第269話 柴田(5)主従の矜持

文字数 963文字

 「これより先、茶碗を柴田と呼ぼう。
正月に岐阜へ持参し、
姥口釜と並ばせて存分に堪能するが良い。
あの釜は慣れても飽かぬ。
市は気鬱がすっかり鎮まるまでここへ遣れぬ故、
茶の湯を空隙の慰めとせよ」

 信長自ら茶碗を差し出し、
姥口釜実物の代わりとなる「歌」も添えた。

 勝家は青井戸茶碗のみ、
拝領すると言った。

 「要らぬのか、釜は。
あの釜こそ欲しがっておったに」

 すると勝家は、

「釜は一国、確と平定し終われば、
頂戴致します」

 「何と。加賀が気掛かりか。
不破、佐々、前田ら、
頼もしい与力が助けるぞ」

 「加賀は一筋縄ではいきませぬ。
門徒が建てた一向宗の地であり、
百年間、他の力を寄せ付けず、
長島での大敗に懲り、顕如さえ、
もしや上様に矛先を収めたく思うても、
加賀衆の激しい抵抗に引きずられるような有様にて、
この権六、
加賀を完全に平らかにした後、
茶釜を必ずや頂きに上がります。
 歌もその際、
再度お聞かせ下されませ」

 信長はふと興味が湧いて、
床の柾目を見詰めるだけの勝照に、

 「主が斯様に申しておる。
頑固者よのう、この主は」

 と水を向けた。

 勝照は変わらず、
一心に床へ目を落としたまま、

 「(よわい)十二で尾張新居の毛受の家を出ます時、
我ら兄弟に母は義に生きよと申し、
送り出しました。
 義に厚い柴田の殿のもとで働く喜びは、
兄共々、歳月を経るにつれ、
深まりこそすれ、減じることはありませぬ。
 我が殿が加賀の地を尋常なる姿に戻すまで、
我ら兄弟も一切を投げうち、
邁進する覚悟でございます。
 加賀平定の後、
姥口釜で頂く茶はさぞ美味しかろうと想像致し、
不肖、毛受庄助、
全力で殿をお助け申し上げたく存じます」

 信長の口元に思わず笑みが浮かんだ。

 口癖は「不肖」か、
不肖が好きな奴だ、
おそらく兄も同じ口癖なのであろう……

 「兄も居るのか、毛受家は」

 「はっ!殿より築城の作事を仰せつかり、
ただ今は快気の汗をかいております」

 勝家、毛受兄弟、兄弟の母、
それら人物の爽快に、
信長はもう言うべきことは何もなかった。

 「好きにせい。
が、茶碗は持て。狂歌もな。
姥口を渡す日を楽しみとする。
この北国で苦労が続く権六や、
家来郎党の奮迅は肝に銘じる。
勝っては負け、
敗けては勝っての日々であろうが、
嫁御を迎える先の楽しみも出来た。
 これからも忠節を尽くせ。
権六の努める様は誰もの手本だ」

 

 
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