第1話 制勝の朝(1)連吾川の岸辺

文字数 1,231文字

 天正三年五月二十二日、早朝。
 
 陽が昇りきるのを待たずして始められた首実検は、
(おびただ)しい将兵の首級(しるし)が、
甲斐源氏棟梁、
名門武田家の(くら)い行く末を暗示していた。

 昨日、
敗走する武田勝頼は秘蔵の馬に乗り損ね、
志多羅原(したらがはら)に置き去りにした。
 勝頼の駿馬が、
ひときわ素晴らしい乗心地だと聞き、
信長は馬を収容した。

 首実検には、
生き残った敵の存在が欠かせない。
 
 閨閥を頼り、昨秋から、
金森可近(ありちか)のもとで馬廻りとなっている日根野弘就(ひろなり)や、
この合戦で徳川軍の後詰に就いた、
今川氏真(うじざね)といった、
武田の顔触れを幾らか見知った味方もないではないが、
所詮、敵方内部の者でない上、
討たれた首は人相が変容し、
別人のようになっていることがある。
 また手柄を大きく見せる為、
首級に詐術を施す者がないとも限らず、
正確な実検には敵軍の、
叶うのであれば、
部将、しかも複数人が望ましかった。

 一晩、
徳川軍の下で捕えられていた、
武田の将兵が五人、姿を見せた。

 志多羅の原は山が迫って朝霧が流れ込み、
大気は冷ややかだった。
 夏の朝曇りと言われるように、
東の空の曇天は今日の晴天を約していた。

 信長、家康はじめ全員が鎧兜を身に着けて、
礼法通り、
討たれた首への敬意を表している。
 大将達が死者の面相を、
まじまじと見るようなことはない。
 実検は厳かに進んだ。

 昨夜から今朝にかけて入った話では、
織田徳川連合軍との決戦回避を主張して果たせなかった、
馬場信春、内藤昌豊、土屋昌次ら、
無念を同じくする将は、
主君を翻意させられなかった無力を嘆き、
共に信玄公に引き立てられ、
戦場を疾駆し、
今に至るまで長らえたことは幸いであった、
しかし明日の一戦は最後の御奉公となろう、
互いの旧交を謝し、
今生の別れとして水盃で酌み交わそうと言い、
陣地となっていた大通寺の井戸に集まると、
泉の水を汲み寄せ、これを飲んで、
決別の夜としたのだという。

 また、武田軍の東三河侵攻に備え、
地侍や百姓の宣撫工作を行っていた甘利信康は、
住民達が寝返って、
志多羅原の野戦城構築に力を貸した上、
敗走の武田兵を追討する様に憤怒し、
折衝役となっていた庄屋の屋敷の松の木に背を預け、
恨み骨髄で、
立ったまま、腹を切ったということだった。

 戦国最強と謳われた甲斐武田の武士団が、
昨日の長篠、志多羅で壊滅的な敗北を喫し、
多くの歴戦の雄が命を落とした。

 ふと、信長が、
至極真っ当な疑いを口にした。

 「総大将の(めい)であろうとも、
世に聞こえた名将烈将が異を唱える中、
何故、
愚かな無謀が罷り通ったのか」

 信長の言には、
勝頼を勝負に向かわせるだけの、
巧妙な策を打ったからなのだという自負、満悦が、
滲まぬでもなかったが、
確かにその疑問は仙千代も、
頭から離れなかった。

 「誰も答えぬか」

 黒漆の骨、表は金箔に朱の日輪、
裏には朱地に金の月輪が描かれた軍扇(ぐんせん)を、
信長がピシャリと閉じると、
家康の顔色を見た榊原康政が武田の虜囚に、

 「早う申せ!
上様をお待たせするでない!」

 と、声を張った。


 

 



 



 

 

 

 



 
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