第375話 勘定

文字数 1,093文字

 一座は朝の部を終えていた。
 仙千代は梅之丞を探した。
 梅之丞は金勘定に忙しかった。
 役柄の僧侶姿はもう解いて、
綿入れを着込んでいる。
 綿は貴重なものだった。
 定宿を持たぬ旅役者のことでその日暮らしに変わりはないが、
日銭に飽かして奮発したか、
綿も布も高価なものなのに梅之丞は無造作に羽織り、
廃寺の縁に座って背を屈め、夢中で儲けを数えていた。
 
 手伝いで銭の孔に紐を通していた老座員が先に気付いた。
 仙千代は消えておれとばかり目配せし、
人払いした。
 
 「まあまあか。
小弁が居らんでも十分だ。
 あれは人気はあるがどうも病がちでいかん。
 甘い顔をすると何日も臥せり、
具合の悪い真似をしやがる。
 どうせ仮病に決まっとるんだ。
熱の出たふりでもすりゃあ寝ておれる。
 ふん、お見通しなんだ。
とんだ食わせ者よ。
 風邪を引いたと言っちゃあ寝込みやがって、
他の連中に伝染(うつ)しもしやがる。
 前の小弁も十二かそこらで死にやがったな。
 あの小弁もそろそろか。
次の小弁を探す頃だな。
 小弁は年端もゆかんから小弁なんだ。
育って大弁にでもなってみろ、
食う飯は増える、投げ銭は減る。
 子供の方が銭が飛ぶでな」

 仙千代、彦七郎は怒りの炎に身を包み、
二人の醸す気迫に老座員は後ずさり、走り去った。
 その気配にようやく梅之丞の顏が上がった。

 十分に食べさせず、
小柄にしておけば「小弁」としての人気が保たれ、
喝采は増す。
 飢えと恐怖で支配され、
「小弁」は必死の芸を見せ、逃げもできない。
 「山口小弁」はあの小弁以外にも居たのだと仙千代は戦慄し、
憎悪が湧いた。

 「やっ、これはお侍様!
いつからここに」

 必死の笑いが下卑ていた。
 敢えて仙千代は、

 「よう稼いだな」

 「へい、有り難いことでごじゃいます」

 「時に小弁は居ったぞ。炭小屋に」

 怯えを一瞬浮かべた梅之丞は即、
またも作り笑いに転じた。

 「別に寝かせておきませんと流行りますで。
 そうなりゃ儂らその日暮らしは命取り。
 小弁は自分で決めて、
あそこで養生しておるんでごじゃいます。
 皆に伝染(うつ)しちゃ申し訳ねえと、
殊勝なことを」

 「出奔したと申したではないか」

 梅之丞は居直った。

 「お侍様達に儂ら下賤の民など、
御興味もありますまいて、
つい、口から出まかせを。
 これも旅役者の生きる方便。
 その場しのぎの流れ者、
たいした意味はごじゃいませんで」

 「小弁の命もたいしたことは無いのであろうな。
炭小屋の小弁は何人目の小弁だ」

 「いや、あっ、それは」

 仙千代は静かだった。
 しかし、冷え切っていた。
 言い澱んだ梅之丞に向け、
彦七郎の右手が(つば)に掛かり、キシャッと鋭い音を響かせた。
 



 

 
 

 


 
 
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