第32話 熱田 羽城(3)加藤邸③
文字数 1,237文字
「藤助は当初、手紙 の行き来さえ、
畏れ多いと断ったのです。
己は一介の田舎侍、
上様に侍る近侍の御身分と手紙を交わすなど、
恐縮の極み、尚も申せば恐ろしいと」
「まあ、妥当なところだ。
迂闊なことをして、
儂の口添えで安堵してやった吉川郷を
万一にも浜松に取り上げられてはかなわぬからな。
して、何と申した、仙千代は」
仙千代の眼は澄んでいた。
「藤助殿が三河を思う気持ちは、
この万見仙千代が故郷を思う気持ちと
一縷 の変わりも無い。
左様な藤助殿であればこそ、
白羽の矢を立てたのであり、他の誰にも斯様なことを、
儂は申さぬ、藤助殿なればこそ、
誼 を深めたく思う、
織田、徳川の鋼 の紐帯 が一寸でも錆びぬよう、
力を合わせましょうぞと」
「藤助は従ったのか」
「確 と私の目を見詰め、
頷きました」
仙千代は風貌に純朴、清廉を漂わせ、
温厚にして慎ましやかな物腰は、
養父の万見家当主にそっくりだった。
いかにもという策士でも謀略家でもなく、
ただ真っ直ぐに進んでいるように見え、
これだけの知略を巡らせるとは、
清らかな容姿をしているだけに
いっそう内実が謎めいていると、
信長は仙千代という存在を不思議に思い、
あらためて一段と惹かれた。
「あの者は確かに仙を好いておる。
それは儂にも良う分かる」
「手紙 に嘘だけは書くな、
何もかもを書く必要はない、
だが、偽りだけは書くなと申し伝えました」
「うむ」
いかにも仙千代らしかった。
「藤助が書く行間に何を読み取るかは、
仙千代の眼力次第というわけだ。
それを藤助も了承したと」
頷いた仙千代が続けた。
「智勇に優れる酒井様であるだけに、
こちらが黙っておりましょうとも、
鵜飼い見物の一員に、
おそらく藤助を加えるでしょう。
ですから上様は、
藤助の焼く鰻を召し上がる機会がおありなのです」
信長は笑った。
「鵜飼いの際だけではない。
今後、藤助は常に酒井の伴で来るであろう。
織田、徳川が同盟である限り」
「何故そのように予感されるのです」
「藤助が、
儂の気に入りだと酒井が思っておるからよ。
実は仙千代の気に入りなのだがな。
手紙 を交わし合う程に」
信長が仙千代を見ると、
我が意を得たりと仙千代が微笑した。
「さて、熱田では図書之介が首を長くしておろう。
鳴海での一服はせず、熱田羽城へ向かうとする」
桶狭間の合戦後、
奇跡の勝利の嬉しさで、
若い信長は義元の首を清須の町で晒していた。
主君の首を取り返そうと、
今川家の家臣、鳴海城主の岡部元信が、
籠城を断ち、城を引き渡すと言ったので、
首級と鳴海城を交換し、
以来、城は、
佐久間信盛、信栄 の父子が城代に就いていた。
信盛、信栄は風流を好む者であったので、
鳴海城では信長の休息の為、趣向の用意が予想された。
信長は、
「志多羅の戦いは、
図書之介の二男、弥三郎の弔い合戦でもあったのだ。
老体を待たせては気の毒ゆえな、
鳴海に立ち寄りはせぬが、
疲れもみせずの出迎え、嬉しく思うぞ」
と信栄に告げ、
三河で大いに働いた譜代の家臣に深謝を示した。
畏れ多いと断ったのです。
己は一介の田舎侍、
上様に侍る近侍の御身分と手紙を交わすなど、
恐縮の極み、尚も申せば恐ろしいと」
「まあ、妥当なところだ。
迂闊なことをして、
儂の口添えで安堵してやった吉川郷を
万一にも浜松に取り上げられてはかなわぬからな。
して、何と申した、仙千代は」
仙千代の眼は澄んでいた。
「藤助殿が三河を思う気持ちは、
この万見仙千代が故郷を思う気持ちと
左様な藤助殿であればこそ、
白羽の矢を立てたのであり、他の誰にも斯様なことを、
儂は申さぬ、藤助殿なればこそ、
織田、徳川の
力を合わせましょうぞと」
「藤助は従ったのか」
「
頷きました」
仙千代は風貌に純朴、清廉を漂わせ、
温厚にして慎ましやかな物腰は、
養父の万見家当主にそっくりだった。
いかにもという策士でも謀略家でもなく、
ただ真っ直ぐに進んでいるように見え、
これだけの知略を巡らせるとは、
清らかな容姿をしているだけに
いっそう内実が謎めいていると、
信長は仙千代という存在を不思議に思い、
あらためて一段と惹かれた。
「あの者は確かに仙を好いておる。
それは儂にも良う分かる」
「
何もかもを書く必要はない、
だが、偽りだけは書くなと申し伝えました」
「うむ」
いかにも仙千代らしかった。
「藤助が書く行間に何を読み取るかは、
仙千代の眼力次第というわけだ。
それを藤助も了承したと」
頷いた仙千代が続けた。
「智勇に優れる酒井様であるだけに、
こちらが黙っておりましょうとも、
鵜飼い見物の一員に、
おそらく藤助を加えるでしょう。
ですから上様は、
藤助の焼く鰻を召し上がる機会がおありなのです」
信長は笑った。
「鵜飼いの際だけではない。
今後、藤助は常に酒井の伴で来るであろう。
織田、徳川が同盟である限り」
「何故そのように予感されるのです」
「藤助が、
儂の気に入りだと酒井が思っておるからよ。
実は仙千代の気に入りなのだがな。
信長が仙千代を見ると、
我が意を得たりと仙千代が微笑した。
「さて、熱田では図書之介が首を長くしておろう。
鳴海での一服はせず、熱田羽城へ向かうとする」
桶狭間の合戦後、
奇跡の勝利の嬉しさで、
若い信長は義元の首を清須の町で晒していた。
主君の首を取り返そうと、
今川家の家臣、鳴海城主の岡部元信が、
籠城を断ち、城を引き渡すと言ったので、
首級と鳴海城を交換し、
以来、城は、
佐久間信盛、
信盛、信栄は風流を好む者であったので、
鳴海城では信長の休息の為、趣向の用意が予想された。
信長は、
「志多羅の戦いは、
図書之介の二男、弥三郎の弔い合戦でもあったのだ。
老体を待たせては気の毒ゆえな、
鳴海に立ち寄りはせぬが、
疲れもみせずの出迎え、嬉しく思うぞ」
と信栄に告げ、
三河で大いに働いた譜代の家臣に深謝を示した。