第371話 黒雲

文字数 918文字

 やがて喧騒の中、
笛太鼓に混じり口上が起こり、
聞き覚えのある梅之丞のだみ声が本日の開始を知らせた。

 「さあさあ、始まり始まり!
 まずは曲芸!奇術が次だ!
海のずーっと向こうからやって来た本物の唐人だ!
 言葉は分からん。
芸の邪魔やで話し掛けちゃなりませんぞ。
 御花はいつでも投げて下され!
 ただ見は御勘弁!
 御花がたんと集まればとっておきの珍芸も!
 さあさあ、京で大評判の山口座、
唐人達のお出ましでござーい!」

 (ひな)びた海辺の村のことで、
もうこれだけで期待の歓声が湧き、
「御花」、つまり銭が地面に敷いた毛氈(もうせん)に投げられた。
 「本物の」と修辞の付くことが
実は唐人などではないことを白状しているようなものだが、
お構いなしの興奮が満ちている。

 美稲(みね)の親しい於米(およね)於糸(おいと)
その兄弟姉妹や家人(けにん)も来ていて、
万見家と合流した。

 仙千代は美稲の見守りを彦七郎らに任せ、
場を離れると古びた(ほこら)を背にし冬の海を眺めた。
 
 空は澄み切って青い。
 点在する黒雲が時に陽を遮って、
この季節によくある時雨を呼ぶと思われた。

 村人達の笑いや野次が賑やか千万だった。

 小弁の登場はいつなのか。
 岐阜で観た際は曲芸が終われば
ほぼ出ずっぱりで謡曲、演戯をこなしていた。

 兵次が顔を出した。

 「仙様。いよいよ山場ですよ。
去年泣かされた母子劇、
今年もやりますよ」

 「実は岐阜で一度見たのだ。
二度は飽きる」

 田舎芝居の幼童相手に何をこれほどむきになるのか、
仙千代は小弁を求めて足を運んだはずなのに、
目にすることを拒む心に逆らえなかった。

 「それが今日は違うんじゃと。
岐阜で山口座を観たという顔見知りの炭商人が、
ついさっき耳打ちして。
 達者で評判の童は今回は出ず、
似た齢の他の者が演じておると」

 胸に早鐘が鳴った。

 「配役違いなら仙様も今一度、是非」

 仙千代は劇を確かめた。
 小弁とは似ても似つかぬ男児だった。

 小弁は!小弁は何処に!……

 仙千代の気色を察した彦七郎が、

 「殿。如何致しましょう」

 と近寄り、彦八郎も、

 「梅之丞に訊きますか」

 仙千代は、

 「小弁を探せ!
小弁に何ぞあったなら梅之丞、
決して許さぬ」

 と強く放った。

 彦七郎の姿は既になく、
彦八郎も直ちに消えた。

 


 
 

 


 



 

 



 
 
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