第98話 多聞山城(8)花の影④

文字数 1,118文字

 仙千代とて
畿内の情勢について思い巡らせないわけではないが、
巻介は大和守護となった直政の近侍であって、
一帯の事情にいっそう詳しいことに間違いはない。

 仙千代は巻介が薬を飲み下すのを待った。
 
 「上様が呈された香木の行方については、
我が殿もつい最近、知ったばかりなのだ」

 考えてもみれば、
大実力者、信長の手を経た秘宝を帝が手元に置かず、
他所に渡したなど、
易々と外に漏れ出る話ではない。

 「九条卿に下賜されたと、どの者から聴いた」

 「石屋だ」

 「石屋?」

 「殿は以前より各所に密偵を放ち、
それらが()う働いてくれてはおるが、
いかんせん、我らは大和に入って日が浅い。
城の改修が始まって、棟梁以下、
畿内から優れた大工が集結しておる中、
とりわけ石屋はあちこちの実力者に出入りして、
様々な家の事情に図らずも接触しておる」

 石材が豊富に産出される地ではないながら、
古都や聖地を抱えて、
畿内は石の需要が高かった。
 そこで石屋は各国へ石の調達で出掛け、
また、限られた資源を何処の誰にどれだけ回し、
融通するのか、
交渉や調整を重ねる内に、
自然と事情通になっていったと想像された。
 
 「鼻薬(はなぐすり)を嗅がせたのだな」

 「殿から十分、頂戴しておるで。
どれ程のことでもない」

 石屋といっても、
そのような情報を持っているのであるから、
一介の職人ではなく、
相手は石材商であって、
巻介は、
鼻薬とやらを自らの懐から相当はずんだに違いなく、
あっさりした言葉の裏に、
主に対する敬慕と謝念が伝わった。

 「話を戻そう。
石屋からの話で儂が驚いたのは……」

 巻介は仙千代の竹筒をずっと持っていて、
今一度、ごくっと飲んだ。

 「永年、大和の主であった興福寺。
その別当は尋憲(じんけん)なる高僧で、
養父が九条禅閤なのだ」
 
 仙千代は目を剥いた。
 侍る市江兄弟や近藤源吾も驚愕を隠さなかった。

 「上様の怨敵、本願寺 顕如。
顕如を猶子として結び付き、
暮らしを支えられていた禅閤は、
おそらく我が身と同等の貴家から養子を迎え、
それが興福寺の最高職にある……」

 仙千代が放心するように呟くと、
巻介も受けて返した。

 「興福寺は、
武家が大和の守護とは恐ろしい、
必ずや神罰が下るであろうと言ったとか。
これは上様の御耳に届いていると聞き及ぶ。
殿も儂も、
悔し紛れの歯噛みであろうと思うておったが、
実は禅閤が帝の不興を賜って、
息子の尋憲にこれを伝え、
別当 尋憲は興福寺の総意として噂を喧伝させたのだ。
神仏の国を田舎侍に渡すは本意ではない、
仏徒による統治をけして諦めはせぬという意志を」

 彦七郎が、我慢できずにか、

 「帝の不興を?
禅閤は帝の恩寵により香木を得たのでは?
帝の御胸の内は、
如何なものなのでございます」

 と、先を急がせた。

 

 
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