第320話 白菊の墓

文字数 1,142文字

 於艶の遺体は仙千代、秀政、
二人の配下の家来衆により河原の古い(ほこら)の大木の下へ、
埋葬された。

 常はざっくばらんで、
むしろ大雑把とも言える市江彦七郎が、
於艶の方が留め置かれていた房から
白絹の召物と小菊を携えて、

 「部屋の隅にありました。
畳んだ着物の襟に白菊が乗せられていて……
この時期は花も生気を失いませんね……」

 と、秀政に両の手で渡した。

 土田御前、鷺山殿、於市の方の別れの心遣いを、
於艶の方は想いだけを受け取って、
最期、「岩村殿」として、
(あで)やかな岩鏡の召物で刑場へ向かったのだと知れた。

 秀政は(むくろ)の肩に装束と菊をそっと置き、

 「上様に斬られることを、
お望みであらせられたのか……
 女城主の矜持、いや、叔母君の情けが、
拒まれたのか、
上様以外の手にかけられることを……」

 と、項垂(うなだ)れた。

 市江兄弟の弟、彦八郎が、

 「上様も知っておられたのでしょうか。
岩村殿の御決意を」

 と呟いた。

 近藤源吾重勝が重々しく応えた。

 「眼と眼で分かり合える。
それが血の(えにし)というもの。
 御二人にのみ分かる光が
宿っていたのやもしれませぬ」

 初めて仙千代も言葉を紡いだ。

 「何処の誰なら刃を振り落とせる、岩村殿に……。
上様の叔母上じゃ、亡き大殿の御妹様じゃ。
 かつて弟君を誘殺されるに至った上様は、
大殿の御小姓の出である河尻与兵衛尉(よひょう)様を実行役に任じられ、
乳兄弟の池田様が河尻様を補佐したと聞き及ぶ。
 誰にでも適う任務ではなく、
上様の御心を知る者として河尻殿、
池田殿が果たした御役目。
 此度は上様御自ら御刀を……」

 息の根を止めたのは他ならぬ秀政だった。

 「斯様な事は有ってはならぬ。
もう二度と。
 上様の御苦しみ。
御前様、鷺山殿、於市様……
皆々様の御苦しみ……。
 金輪際、斯様な悲劇があってはならぬ……」

 金の(いらか)に夕陽が輝き、
城の向こうへ隠れていった。
 誰もが手を合わせ、瞼を閉じた。
 
 岩村殿はかつて暮らした岐阜の土へと還る。
 伊吹おろしの風に乗り、秀政の読経が聴かれる。
 念仏は時に震え、途絶えがちになった。
 
 「南無阿弥陀仏……南無阿……」

 「……弥陀仏、南無阿弥陀仏……」

 やがて一同、
秀政を助けるように唱和していた。

 上様は御自ら(おんみずから)決着を付けられたのだ、
岩村殿を殺めるなど、
何処の誰にも可能なことであるはずがない……
 上様は(はな)からそのおつもりで……

 若き日、慕った於艶の方に刃を振るった秀政だった。
 仙千代は今になり、歯を食い縛り、
ぐっと涙を止めた。
 信長、岩村殿、織田家の人々、
また、秀政の悲嘆を思えば、
(おのれ)如きが涙を流すのはふさわしくないと思われた。

 於艶様……岩村殿……
 生涯、忘れませぬ……
 けして忘れられませぬ……

 合わせた両手を仙千代は、
いつしか膚の色が変わる程、強く重ねていた。
 

 
 

 
 
 

 
 

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み