第45話 父子の朝餉(5)

文字数 1,070文字

 秋山虎繫は、
かつて甲斐の屋敷で家康の異父弟 源三郎康俊と、
酒井忠次(ただつぐ)の娘を囲っていた。
 それが逃亡を許してしまい、
信玄に顔向けできない状態に陥っていた。

 三年前、
生前の武田信玄は西上作戦に打って出て、
その一環で秋山虎繫は岩村城に攻め寄せた。

 信長は岩村へ一万の援軍を差し向けたが、
長島の一向門徒に手を焼いて、
本腰を入れての戦闘に至らず、
小競り合いで敗北を喫したままに退却する他なかった。

 「因縁も因縁、
いや、むしろ意趣返しでござる。
秋山は人質を奪われるという大失態を犯し、
汚名返上、名誉挽回の為、
岩村城を包囲して、
城主となるだけでは飽き足らず、
織田家の姫まで奪った上に子まで産ませた。
未だ帰らぬ御坊丸様を思えば、
上様のお怒りは当然のこと、
浜松殿、酒井殿の恨みも浅からず、
憤怒の思いは岩村に向かい、
その火はけして鎮まっておりませぬ」

 東美濃の安定、
つまり岩村城攻めは織田家だけのことでなく、
盟友 徳川家康と、
その腹心 酒井忠次の話でもあった。
 秋山虎繫を追い詰めることは、
今後の武田家攻略の要諦であると同時、
信長、家康、
忠次の積年の鬱憤を晴らすことでもあった。

 「酒井殿の姫君も帰国されて暫くは、
心身の調子を崩され、
臥せっておられた由。
幸いにも今では松平伊昌(これまさ)殿との縁組が決まり、
婚姻の御準備中であられるとか。
源三郎殿がまこと気の毒であられるだけに、
姫の息災がせめての救いでござる」

 秀隆の話によって、
家康にとっても岩村城を落とすことは、
母 於大の方の思いを酌んだ復讐でもあるのだと、
仙千代は知った。

 信長は信忠に向いた。

 「若殿が雲霧ひとつない晴れやかな思いで
岩村を攻めるとは儂も思わぬ。
しかし、何よりの助けがここに()る。
与兵衛は儂の心を知る者。
儂が志多羅で与兵衛に兜を授けた思い、
この父の思いを若殿も己が思いとして、
岩村に出馬されよ。
総大将 出羽介(でわのすけ)殿の活躍を、
織田家の将のみならず徳川軍も注視しておる。
我こそ信長の後継なるぞと世に知らしめるのだ」

 常はけして言葉数の多くない秀隆が、
あれまで語った本心は、
若き日の信長にも実弟を殺めざるを得なかった悲しみがあり、
それを秀隆が知っているということを、
信忠に伝える為だった。

 信長は信忠に返答を求めなかった。

 信忠は何事か決意したかのように一度息を深く吸い、
ごくりと白湯を飲み干した後、
残った粥を一気にかき込み、食べ終えた。

 武家政権の頂点に立っているのは、
間違いなく信長だった。
 信忠はその世を継ぐ者として、
「実」を挙げねばならない。

 感傷を胸奥に畳んだ信忠の心の痛みを、
仙千代は感じていた。

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み