第130話 早舟(8)寝所②

文字数 935文字

 誰かとは五郎左衛門尉こと、
丹羽長秀だろうと仙千代は察した。
長秀の元来の家格の低さを補う為に、
信長はあらゆる手段を講じて筆頭家臣に押し上げた。
 万千代と呼ばれ、
十代半ばから仕えた長秀もまた、
信長の情けに応え、限りない忠誠を尽くしている。
 信長は庶兄の娘、つまり姪を養女にした上、
長秀の正室として入れ、舅と婿の契りを結んだ。
 今では互いに子を持ち、
壮年となった二人は信長が長秀を、

 「一日も欠くことは出来ぬ、
米のようなものにして我が兄弟」

 とまで公言して憚らぬ寵臣で、
感性鋭く、情の激しい信長が、
真摯にして柔和な長秀を傍に置きたがるのは、
仙千代にも得心できるものが確かにあった。

 「面白うないか。
誰ぞに似ているなどと言われては」

 「御相手が丹羽様なれば光栄にございます」

 信長はまたも笑った。

 「ふむ。ばれておった」

 「上様がかねてから仰せのように、
お二人はまさに兄上と弟君。
左様にお見受け致します。
その末席に仙千代も加えて下さるのですか」

 「そうは言っておらぬがな。そこまでは」

 「そのように聞こえましてございます」

 言い分を押した仙千代に、

 「ぬけぬけと。呆れる奴だ」

 「御機嫌を損ねてしまいました。
やはり、お(いとま)致しましょうか」

 ならぬとばかりに今度こそ信長がグイッと抱いた。

 「あ!痛い」

 「小憎らしいのが何とも言えぬ。
そこは万千代と違う」

 幾多の戦いを経て今がある長秀は、
実際、激しく厳しいものを秘めた男に違いない。
それでも日頃は温厚を絵にしたような人物で、
菅谷長頼、堀秀政といった切れ味鋭い側近衆と対比して、
春陽のような(うら)らかさを湛え、
誰でもが寄り添いたくなるような東風の主だった。

 痛がってみせた仙千代は信長の腕の中で、
ふと訊いた。

 「上様と丹羽様はおひとつ違い。
お若い頃は諍いなどもなさったのですか」

 「諍いなどせぬ。
家中の多くの者が儂を理解せぬでも、
万千代は必ず味方であった。
理由は忘れたが、
五郎左が儂に抗弁したのは今まで一度か二度か」

 仙千代の背を信長の手は、
(さす)るでもなく摩っていた。

 「しかし、仙は何じゃ、勘が働くのか。
そういえば今朝、
五郎左が抗弁しくさって、
面白くないという顏を隠しもせず」

 「今朝?丹羽様が?」

 「珍しいことにな。まったく」

 




 

 







 

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