第338話 山口座(2)梅之丞

文字数 645文字

 礼拝を済ませ、堂を出た信忠一行に、
一座の座長、歳の頃、四十か五十か、
梅之丞(うめのじょう)なる男がやって来て、
高覧の件につき礼を述べ、
一部の演者を伴っており、そこに(くだん)の童も居た。

 信忠が目を留めるまでもなく、
梅之丞は童を侍らせ、

 「これは小弁(こべん)と申す者でございまして、
我が山口座の麒麟児にて歌うに極めて長けております故、
弁の名を与え、
修行させておるところでございます」

 と口上し、
挨拶をせよと言わんばかりに背を押した。
 この場合の弁とは、謡曲を指していて、
小弁はその才において一座を担っていくことを
期待されているのだと知れた。

 「山口小弁と申します」

 最後の演目は労働歌であったので、
小弁は頬かむりの田吾作姿だった。
 今は化粧を落とし、髪は肩までという禿童(かむろ)姿で、
となれば、齢は十数歳あたりかと思われた。

 信忠の心を読んだように梅之丞は述べた。

 「この者は親を知らぬ孤児(みなしご)で、
我らの故郷、周防(すおう)は山口の村の乞食集落に居ったのを、
帰省した座員が(たま)さか見付け、
どうやら鍛えれば役者になるかと買い取って、
本拠の京は伏見へ連れ帰ったものでございます。
 何分、素性の判別つきませぬ故、
齢は十か、十一か、
禿童姿にさせておりますが、
いずれ、演じる姿が本性であり、
役を離れればそれこそ仮の姿。
 齢も何もありませぬ」

 と小弁の生い立ちを語った。

 小弁は自らの話であるのに表情を変えず、
ただ立ち尽くし、疲労か、または他の理由か、
他人事のように聴いているようにも映り、
先程まで演技で見せていた豊かな喜怒哀楽は、
微塵も感じられなかった。
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