第68話 岩村城攻め(12)梅雨の青雲④

文字数 1,120文字

 「竹丸」

 仙千代は視界が曇った。
 何と素晴らしい友に恵まれたかと、
胸にこみあげるものがあり、
仙千代は涙の目で竹丸を見た。

 竹丸は、
いよいよ書状の束を整理し終えると、

 「明日も早い。さ、邸に帰って寝るか」

 と、立った。

 「竹。あらためて礼を言う」

 座したままの仙千代が見上げると、
竹丸は仙千代の涙に気付き、
一瞬、何故か顔を赤くした。

 仙千代は見上げて、

 「竹との出会いが儂をここまでにしてくれた。
万見の家の暮らし向きが楽になり、
いくらか恩を返すことが出来た。
泣いたり怒ったりした時も受け止めてくれた。
感謝しかない」

 両手をついて仙千代は頭を垂れた。

 竹丸の声が頭上に落ちた。

 「いちいち泣かれて礼を言われておっては、
(やかま)しゅうてかなわん。
何、気にするな。
一国一城の主になるのは儂が先じゃ。
仙があぶれておったら、
城代として置いてやろう」

 長島で仙千代が一揆衆の兄弟に斬られ、
傷が癒え始めた時に竹丸が背を流してくれて、
出世競争をしよう、
いつか共に国主になろうと誓い合った。

 「何と聞き捨てならん。
儂の感涙を喧しいとは」

 手を床から離し、
顔を上げて仙千代も言い返してみせたが、
竹丸は真剣な口調に戻った。

 「お互いに、行く先々すべて、
戦地もしくは反抗勢力が手強い土地だ。
命はひとつだと重々心得、
御役目を果たす為にも身の安全を怠らぬよう、
心がけようぞ」

 仙千代は深く頷いた。

 「何だ、その顔は」

 「やっぱり竹は大人じゃなあ。
ちょっと不器用で酒に弱いが、
やっぱり竹は大人じゃなあ。
人品骨柄で、
竹に追い付く日はまだ先じゃなあ。
いつか迎える嫁御は幸せ者じゃ」

 信長の寵愛と信を得て、
重用され続けていることを仙千代は知っていて、
羨望のみならず、
嫉妬の眼を向ける者が居ることも、
また、気付いている。
 素の心を見せられる相手は今の仙千代に、
けして多くはなかった。

 「竹が居てくれて本当に良かった。
儂の心の兄者だ」

 「同じ話の蒸し返しか。
時の無駄だ。先に行くぞ」

 梅雨時の暑さが理由か、
またも紅潮を見せた竹丸が去った後、
火の用心を済ませ、仙千代も部屋を出た。

 辺りは若葉の香りに満ちていた。
 梅雨の晴れ間の(ゆうべ)
迎賓館の金の(いらか)が夕陽に輝いていた。

 日頃の近習仕事に加え、
酒井忠次の饗応、
その二男の岐阜での暮らしの準備、
岩村城での検使、大和への出張と、
多忙を極める日々が仙千代を待っていた。

 儂も竹に負けてはおれん、
御役目を果たすのみならず、
務めに心を入れて励むのだ、
誇りをもって……
 
 そして最後、仙千代は、
信忠が総大将として指揮を執る岩村城攻めが、
つつがなく勝利を収め、
織田家の後継として、
名実ともに信忠の名が天下に轟くことを、
朱染めの空に強く願った。
 


 

 

 
 

 

 
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