第291話 岩村城 落城(1)処断①

文字数 1,144文字

 信長は自らが激情家だと知っていた。
 憤怒の情も激しいが憐みにも鈍感ではおれず、
例えば多くの女人を愛おしみ、
その殆どは過去に婚歴のある後家であり、
大概が連れ子を伴っていて、信長の琴線に触れた。
 温情は果実をもたらし、
子を産み、育てた経験を持つ側室達は、
信長の多くの子を健やかに産み育て、
稀に見る子福者にした。
 敬う父も慕った舅も二十人以上の子をもうけていたから、
信長は自身もそれがあるべき姿だと疑わず、
子作りに励んだ。
 また連れ子はそのまま織田の血筋に殉じた家臣となって、
家を支える。
 村井貞勝に養子へ出した庶長子に今は子が生まれ、
信長は既に孫を持つ身となっていて、
この後も徳川に嫁いだ徳姫はじめ、
次々に内孫外孫が増えてゆくかと思うと
織田家の盤石ぶりが想像されて、
まさに我が世の春を思う一瞬が時にはあった。
 
 裏切りに遭うのは乱世の常として、
庶兄、実弟はじめ、親類衆に煮え湯を飲まされ、
幾度も謀殺されかけた信長は、
一度は赦すことが多かった。
 血の繋がった親族が寝首をかくなら、
赤の他人は尚更だった。
 であるならば、
血を分けた兄弟を赦さぬ理由は無く思われた。
 
 情況で、人は魔が差すことがある。
 同腹の弟、信勝も二度目の謀反は断罪し、
祖父の代から織田家に身を置く河尻家の秀隆に
誘殺させる道を選んだが、
今にして思えば弟に対する哀れが募った。
 
 信勝は容姿優れ、
また、狩りをさせれば信長よりも達者な程で、
百舌鳥(もず)を用いた珍しい方法で、
獲物を逃すことは決してなく、
信長に平手政秀が選んだ恩師、沢彦宗恩(たくげんそうおん)も、
信勝を文武に秀でた若者だとして将来を期待していた。
 信長の庶兄、信広が周囲に焚きつけられ、
二度も信長を襲ったが、信長は許し、
今、信広は京で信長の名代としてよく働いている。
 
 信勝は実弟であるだけに、
許したくとも許しはできない事情があった。
 信広の母は、信長、信勝の母に比べ、
家柄がずっと劣っていた為に、
信長が別心を赦免したとて対等な敵には成り得なかった。
 信勝は母が同じであるだけにそうはゆかない。
 信長は確かに家督を譲られはした。
しかし振舞が自由に過ぎ、奇矯であるとして、
品行方正な信勝に人心は集まりがちだった。

 嫡男の信長、二男の信勝。
 二人の存在は家を二分した。
 
 信勝、享年二十二。
 信長は二十四だった。
 信長とて若くはあったが、
信勝の二十二といえば未熟を残した齢であって、
周りに囃し立てられて疑心を抱き、
兄に刃を向けたと思えば、
今も心の奥の悲しみは消えず、
どれほど栄華の階段を昇ってゆこうとも、
朝に夕に母が一族の位牌に経を上げる姿を目にすると、
己と母との間には埋められない溝があり、
その溝はいくら信長が埋めようとしても、
母にその心は届かないのではないかと一抹の寂しさが、
胸を抉った。

 
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